Interview 第2回

ご縁とご恩に生きる…
ライフミッションは「次世代のリーダーに道をつくる

取材・撮影:sara kimoto

THE BLUE Spirits インタビュー第2弾は、株式会社ポジティブキャリア・代表取締役の多胡敦史氏。
多胡さんと初めてお会いしたのは、2020年の秋。お話しさせていただいたときに、私は多胡さんから「ノースカロライナブルー」と「ローソンブルー」を教えていただきました。
多胡さんの人生を振り返ったっ時、そこには多胡さんらしいメガポジティブのオレンジ色と、クールで知的な「ブルー」の両方を兼ね備えたようなお人柄を垣間見ることができます。
今回はコーポレートカラーがブルーという多胡さんの、人生の背景にある「ブルー」のお話を交えて、青年期のバスケ時代から、現在のライフミッションまで、たっぷりとインタビューさせていただきました。

バスケットボールに出会い、
自信、リーダーシップ、社交性が育まれた青春時代


学生時代はバスケット一色だったという多胡さん。バスケットを始めることになったきっかけから、そこで得ていった自信について、まずはお話しいただきました。

──小さい頃はどんなお子さんでしたか?

多胡さん 小学校の低学年はあまり自信がないタイプでした。昔から背は大きかったんですが、引っ込み思案の内気なタイプで、クラスのいわゆるガキ大将の後ろにいる「でくのぼう」みたいな、怪物くんに例えると、フランケンシュタインみたいな、そんな存在だった気がします。
そんな小学生時代を過ごしていた私に、転機が訪れたのは4年生。私は、「バスケ」と出会いました。
その後の学生生活はずっとバスケ漬けの毎日。この頃、“多胡敦史の素(もと)”が作られていったと思います。

──そもそもバスケと出会ったきっかけは?

多胡さん 小学校にミニバスのクラブがありまして、私の一番仲がよかった友人のお姉さんが2つ上でキャプテンをやっていました。学校の先生から「あのでっかいヤツを連れてこい!」という指示があったようで、その友人から誘われるがままバスケ部に入ることになりました。
ありがたいことに、体が大きく、頑丈だった私は、わりとすぐに試合にメンバーとして、参加させてもらえました。強い学校だったので、県大会で優勝、関東大会も準優勝することができました。その後の中学も高校もバスケが強いところで頑張っていたのですが、バスケを続けていくことで内気な自分から徐々に自信をつけて、輪の中心に入れるようになっていった気がします。

──バスケは楽しかったですか?

多胡さん チームではキャプテンを任せてもらいました。
また、小中高と地域の選抜にも呼ばれていたので活躍できる機会が多く、とにかく楽しかったですね。
小学校、中学校と経験していたので、高校もバスケの強豪校に入りたくてずっと頑張っていました。
選抜チームでは他校のエースたちと仲良くさせてもらうことができたり、一つ上の先輩の試合に一緒に出させてもらったりと、自分のチームだけでなく、他校の人や年上の先輩たちと過ごす時間も多かったです。
キャプテンとして、常にチームをどうつくっていくべきか、みんなが気持ちよく部活で過ごすためにはどんな環境が良いのか、そんなことをずっと考えていました。バスケを通して社交性やリーダーシップを少しずつ身に付けていけた気がします。

──バスケでの思い出で印象に残っていることはありますか?

多胡さん バスケといえば、皆さんご存知のマイケル・ジョーダンですよね。彼が当時ノースカロライナ大学で有名になった時に、ユニフォームのブルーを「ノースカロライナブルー」と呼んでいました。スカイブルーのような水色ですが、その当時や社会人になってからも何度かノースカロライナブルーのバッシュを履いてプレーしました。潜在的にブルーが好きだったのでしょうね。

──その後のキャリアについて教えていただけますか?

多胡さん 私のキャリアは、企業人を3社経験した後、独立して会社を起ち上げました。
最初は、テンプスタッフという人材派遣や紹介ビジネスの営業を6年経験して、そのあとに外資系のフランクリン・コヴィー・ジャパンという、ビジネス書で有名な『7つの習慣』のリーダーシッププログラムを扱っている会社で4年間、営業やマーケティングを担当していました。

──なぜ、人材系の会社に入ろうと思われたのですか?

多胡さん 人材ビジネスの会社に入ったのはたまたまです。大学生の時にテンプスタッフでアルバイトをしていて、そのままご縁があって社員にしてもらいました。実は大学は理系で、物理を専攻していたのですが、なぜか社会人になったら営業マンになりたくて。バイトを探していた時に、偶然大学の生協で配っていたチラシで「営業アシスタント」の募集を見つけて、これだ!と思って飛び込んだのが人材派遣の会社でした。

──実際に営業をやってみてどうでしたか?

多胡さん 当時テンプスタッフは、学生やフリーターのアルバイト営業がたくさんいたのですが、みんなスーツを着て、名刺を持って、新規開拓して、プレゼンして、契約が取れると派遣スタッフを紹介して、稼働が始まればそのスタッフさんをフォローして。時にはクライアントからのクレームも必死で対応したりと、アシスタントのアルバイトとは言い難い仕事でしたが、楽しくてずっとやっていましたね。

──アルバイトの領域を超えてますね(笑)

多胡さん そうですね。昔の昭和っぽい時代で、24時間働けますか?的な感じですね(笑)。最初は全然売れなかったのですが、受注が増え始めると楽しくなり続けました。わりと物怖じせず人と喋れるタイプなので、新規開拓も楽しかったですし、お客さまに「ありがとう」と言われる事がすごく嬉しくて。周りに負けないくらい成果も残せましたが、就活を控えていたのでお客さまはすべて先輩に引き継がせてもらって一旦アルバイトを辞めました。

──アルバイトを辞めたあとに、改めて就職されたのですか?

多胡さん お客さまを引き継いでくださった先輩たちから後々聞いたんですが、そのお客さまのところへ行くと「多胡さんがいたから御社と付き合いはじめてね」なんてことをたくさん言われたそうで。辞めたあとでもご評価やお褒めの言葉をいただけるのがこれまた格別のうれしさで、それがかなり自信につながりましたね。そこで改めて、その仕事をまたやりたい!と思い、テンプスタッフへ社員として戻してもらうこととなりました。
営業って、そもそもテレアポや飛び込み訪問はとにかく嫌われますし、訪問したら目の前で名刺を邪険に扱われたり、もう帰ってくれと言わんばかりにぞんざいな対応を平気でされたりも当たり前でした。それでも、周りと競っているとそれすらも楽しみで、「このお客さんはオレが行く!」なんて新規を取り合いながらやっていましたね。
でも、その時お世話になったお客さまは今もご縁が続いている方もいますし、飲みに連れていってもらったり、当時の先輩方ともよく飲み会したりおつき合いさせてもらっています。
そういうご縁が今の自分の糧になっていますし、宝ろ思っていますし、そこからまた仕事に繋がったりすることもあって、「ご縁」と「ご恩」は本当に大切にしています。

人材派遣の会社から、研修企業へ
自分はこのままでいいのか?もっと何かできるのではないか。

──そのあとフランクリン・コヴィー・ジャパンへ入られた理由は?

多胡さん 28歳の時に転職をしました。当時、テンプスタッフではかなり営業成績を残していて、評価もそれなりにいただて表彰もされたりしたのですが、30歳手前でいろいろと今後の人生を考えることが多くなりました。
30代の自分はこのままでいいのか?他の会社でももっとやれるのではないか?とか。
当時、後輩の面倒を見たり、自分たちで自前の育成プログラムをつくって入社間もないメンバーをサポートしたりすることが面白くてやりがいでした。人材派遣や紹介は、職に就くまでのサポートが多いのですが、そんな経験からも入ったあとの人材育成や、その人の成長とか、その頃からずっと興味を持ちはじめていました。
いつしかそういう仕事をしたい!そういう業界で活躍したい!なんて思うようになって、これも偶然ですが『7つの習慣』という超有名コンテンツを持っている、フランクリン・コヴィー・ジャパンにお世話になりました。

──そこではどんなお仕事をされていたのですか?

多胡さん 企業の人事や人材開発、経営企画へ、自社の教育体系構築や、研修、管理職のマネジメントプログラムを導入する際、相談に乗るコンサルタント営業です。個人や組織のリーダーシップ、タイムマネジメント、若手の育成や組織文化を作るといったような時に、7つの習慣のプログラムを活用してどうやって組織を変えていくか。そういうことを、日々提案していました。

──7つの習慣は多胡さんもかなり学ばれましたか?

多胡さん そうですね。今でも私の人生のバイブルだと思っていますし、素晴らしい内容だと思います。誰もが知っている当たり前のことを、ものすごく体系的にうまく分かりやすく解説をしているのが7つの習慣で、新しいメソッドを開発したとういうより、当たり前のことを誰もができるように整理した、という意味ではほんとにすごいプログラムだと思います。

──原理原則ですからね。

多胡さん おっしゃる通りですね。そういった意味では時代に左右されないベースとなる、当時は「人材育成のファンデーション」という言い方をしていましたけれども、下地となるような考え方が7つの習慣にはしっかりと詰まっていますよね。

その後、ロゴがブルーのローソンへ転職
変化の渦を起こす会社で何を経験したのか?

──ローソンに行かれたきっかけは?

多胡さん 10年間、人材ビジネスの営業をしていたので、役割としては企業の人事を支援する側、ですね。その業界も仕事も好きだったのですが、自分のキャリアを考えた時に、ずっとサービスをしているだけだと机上の空論になってしまいがちなので、企業内の人事として実際に現場で仕事をしたいと思ったんです。業種業態などは関係なく、大手企業の人事ができる会社に転職をしたいと思って動きました。それが32歳の時ですね。
その時にローソンとたまたま出会って、当時、圧倒的な経営手腕を発揮されていた新浪剛史さん(現・サントリーの最高責任者)が、改革を進めていた時だったんです。非常に伸びていたコンビニエンスストアですし、むちゃくちゃ面白そうだなと思って、門を叩いて入社させてもらいました。

──実際に入られてどうでしたか?

多胡さん 非常に面白かったですね。ものすごく変化が激しい業界の中で、当時、その中でも変化の渦を起こす会社だったので、新しいことをどんどんやっていきました。業界の中では、セブンイレブンさんが圧倒的に強くてナンバー1だったのですが、そこに対抗するナンバー2として、1位と違う戦い方をする、いわゆる「二番手戦略」です。
1位がやらないことをどんどんと新しく生み出して、社会に発信をして、新しい時代を作っていく。例えば有名なところだと、プレミアムロールケーキなどコンビニデザートを仕掛けたのはローソンですし、コーヒーをコンビニで買えるようにしたのも、実はローソンがはじまりです。
あとは、フランチャイズチェーンを展開するビジネスなので、全国どこでも同じ味を楽しめるというのがコンビニの価値だと思われていたのを、その地域のエリアに合わせた地産地消で地域の特色を打ち出すお店にしていこう、などもユニークでした。当時私が担当して面白かったもののひとつが、「健康ローソン」というブランディングを作っていまして、国や地方自治体と協業しながら、コンビニから健康を発信していく戦略を生み出していました。ローソンには小麦ブランを使った糖質が少ない「ブランパン」というパンがあるのですがこのパンで、「毎日コンビニ食を食べることで健康になる」っていうのを打ち出したんです。そういった他のコンビニや小売がやらないことをたくさんやっていきました。

──そんな中で多胡さんは、どういったお仕事をされていましたか?

多胡さん 最初は、加盟店のアルバイト・パートの雇用を作る仕事をしていました。当時2008年頃は、とにかく加盟店の一番の悩みは、売上のことよりも人手不足が重要課題でした。
アルバイトを採るにはどうしたらいいかを考え、仕組化して加盟店を支援する仕事です。この辺りも、他のコンビニとは違うローソンの特色になりますが。
フランチャイズビジネスとしては、基本的にアルバイトは加盟店のオーナーさんが自分で採用して、自分で教育していく方式ですが、それが最たる課題で難しいのであれば、本部がそこをサポートするべきだということで、セブンイレブンさんやファミリーマートさんも一切タッチしていなかった「本部が加盟店のアルバイト雇用をトータルで支援する」、そういう業務でした。
具体的には、学生、主婦、フリーター、留学生や外国籍の方々に対して、募集から育成、定着までをどのようなプランを作っていくかが、私のミッションでした。本部でいろいろと仕組みを作ったり、アルバイト専用の独自採用ホームページを立ち上げて募集活動をしたり、育成マニュアルを作ったり、そういうことをしていましたね。
実は、私を採用してくれた上司が新浪さんにその重要性を提案して、ローソン内でちょうどその事業が始まった時期という事もあり、私にとって絶好のチャンスでした。
人材ビジネス10年の経験を買われて、タイミングよくジョインできたのだと思います。

──ローソンでのお仕事は手応えとしてどうでしたか?

多胡さん とにかく規模感と変化率がすごい会社でした。ローソンのアルバイトは全国に20万人。当時1万数千店舗ある中で、1店舗当たり15人~20人が在籍していて、20万人のデータベースが常に動いています。アルバイトで入っても、数日で辞められてしまう方もいらっしゃいます。日々、膨大な量の個人情報が入れ替わるという、すごいスケールです。当時、我々のチームでよく言っていたのは、「20万人いるってことは、ちょっと小さな国と一緒だよね」って。20万人いる国民の流動性を握っている、と考えたら、我々の仕事はコンビニのアルバイト雇用ではなくて、国家戦略を作る仕事なのだと自負していたんです。

私を採用してくれた上司は今でも尊敬していますが、常に新しいことにチャレンジして変革を起こすリーダーだったので、あれをやろう、これをやろうと、どんどんカタチにしていく方で、過去に前例のないことを沢山やらせてもらいました。とてもチャレンジングでおもしろかったですし、もちろん痛い目を見たりとか、大失敗したりとか。数えきれないくらい多くの経験をしながら、非常にエキサイティングな仕事をずっとさせてもらってましたね。

───新浪剛史さんもそうですが、その上司の方も、変革を起こすリーダーだったのですね

多胡さん そうですね。その時の上司は、私の人生を変えてくれた恩師のひとりです。当時ものすごく厳しくて、めちゃくちゃ怒られて、提案してはダメ出しされながらも、なんとか食らいついていきたいと毎日必死でした。

ローソンの時代を振り返ると、ある意味バスケ部の頃経験した時と同じだなと思っています。
当時先生にものすごく怒られたり、体育館で帰れ!と言われたりしながらも、やらせてください!と泣きつきながらも必死で食い下がるスポコン時代。
その精神が今でも自分の中にあるのでしょうね。なんとしても負けてなるものか!と意地だけはあった気がします。

人生100年時代にどう生きるか。
自分の旗を上げて、自分で会社を興す

──そこから独立に向かっていくわけですが、どんな想いがあったのでしょうか。

多胡さん 43歳で独立をするんですけれども、40歳を過ぎた頃から、今後の人生をどうするかをいろいろ考えていました。
きっかけは40歳の頃に『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』という本を読みまして、その中で言われたのが「人生100年時代」です。100年と言われた時に、正直とんでもなく長いなぁ…と思いまして。大きな会社でポジションも任せてもらっていて、ある意味順風満帆と思う方もいらっしゃるかもしれないんですが、それでも40歳ってまだ折り返し地点の手前なのですよね。そう思った時に、この先どうするか、自分はもともと人材ビジネスをやりたかったのではないか、人事を支援する仕事をしたかったんじゃないのか、自分のやりたいことは何なのか、という想いがどんどん芽生えてきました。

そう想いはじめると、大手の企業で仕事をさせてもらっている醍醐味が、何か少し窮屈に感じはじめて、もっと自分の可能性を高めたいと思うようになっていきました。
その時期、他社で活躍している先輩や、自分で経営している方々にたくさんお会いしてお話しを伺ったのですが、みなさんとてもキラキラとしていて活躍されていて。尊敬する上司からも、「自分が正しいと思うことをやれ」って言われていまして。そう考えたら自分の旗を上げる意味というのが、自分の中にふつふつと湧いてきたというか。

社外の様々な方々から、「独立したらいいじゃないか、お前ならできると思うよ!」って背中を押されて。自分には無理、無理!って言い聞かせていたのですが、段々とやればできるのではないか?と勘違いをし始めちゃって(笑)、一度そう思ってしまうとワクワクしか残らない。
42歳の時、自分の旗を上げて、自分で会社を興して、自分で仕事をするんだ!、という人生にトライしたいと思いまして、転職ではなく「独立」を決意しました。

──社名が「ポジティブキャリア」という会社名ですが、それはもともとご自身の中にあったのですか?

多胡さん 社名の由来は、まず自分自身の特徴はポジティブだと思っていて、しかも「メガポジティブ!」。かつ、キャリアに関わる仕事をずっとやってきて、“自分のキャリアは自分で積極的に作っていくもの”という想いがありますし、そういう人たちの助けになりたい。「ポジティブにキャリアを切り開く」、そういう人々を支援する会社にしたいと思って割とすんなり決まりました。

──コーポレートカラーが「ブルー」ということですが、多胡さんにとってのブルーとは?

多胡さん 10年間お世話になった「ローソンブルー」が好きでした。新卒や中途採用の仕事をしているときは、社外の方とお会いする時のネクタイは大抵ローソンのブルーをつけていました。昔から、わりと紺色の服が好きで、今持ってる服も半分以上が青系です。キャラクター的にはオレンジとか黄色が合っていると思うのですが、ちょっとカッコつけたい自分がいて、クールで知的なブルーでいたい。そういう思いが正直自分の中にはあって。青という色は当時から好きでしたし、ローソンとの出会いもきっかけでしょうね。

社内でローソンブルーと共に。

──なるほど。ブルーに対するイメージは?

多胡さん ブルーというと、クールで冷たいというイメージもあるかもしれませんが、私は落ち着く、親しみやすい色だなと思っています。グリーンもそれに近しい色なのですが、そこにプラスしてクールで知的な印象。冷静というか、芯の強さみたいな、そういうイメージをブルーに私は感じています。

経営者仲間やお客さまには、素はすごいパッションと感情と元気さが私の持ち味だと言っていただけるのですが、ただそれだけじゃダメだと思っていて。そこに冷静さや、ロジカルさが加わって、両方を持ち合わせた人になりたいと思っていて。なので、素はオレンジかもですが、青を持ってる自分も見せて、「俺はこっちもできるぜ」と格好つけたい一面があるのでしょうね。それは周りの友人からも言われますし(笑)、自分で自覚もあります。

──ポジティブキャリアでは、具体的にはどんな活動をされているのでしょうか?

多胡さん ビジネスとしては大きく2つの柱がありまして、一つは「企業の組織づくり」をやっています。組織やチームをどう作っていくか、ということを伴走型でいろいろな企業さんのご支援をしています。もう一つは「新卒や中途のアドバイザー」的な採用支援です。

ここ数年、組織コンサルをメインでやっていまして、具体的にいうと、経営者の方や、事業部長もしくは人事の方が、この組織をもっとこういう風にしていきたい、という想いを形にしていく仕事です。例えば、売上を伸ばすために営業力を強化したい営業組織もありますし、もっと若手の成長を促したいとか、管理職のマネジメントを強化したいとか、いろんな組織の課題があるんですけど、それを成し得るためにどうやるか、ということをプロとして伴走していくのが私の役割です。
なので、組織のゴールイメージを描いて、それに基づいて半年から数年かけてお付き合いしていきます。例えば、研修や勉強会をやるというのも一つのやり方ですし、丁寧に1on1でサポートすることもありますし、コンサルティング的な関わりを持つこともあります。手法はあれこれ様々ありますが、組織の課題解決のために、会社の中のヒト・モノ・カネ・情報の「ヒト」がどうあるべきかについてプロとしてサポートしています。

──独立されて楽しいですか? 今どういうフェーズにいらっしゃいますか?

多胡さん 基本、人生ずーっと楽しいタイプです(笑)。でももちろん今が一番楽しいですよ。独立をして今6期目ですが、もちろん山谷ありましたし、コロナで売上が全部なくなった時もありましたが、でもすごく周りに恵まれて、本当に助けてもらいながら、今たくさんの仕事をいただけていることが何よりもありがたいし、めちゃくちゃ幸せ者だと思いますね。

──多胡さんの中で、人生も含めて一番大事にしている価値観は何ですか?

多胡さん 「ご縁とご恩に生きる」というのを私はよくお話しています。自分が最も大事にしている価値観の一つです。
あとは行動ですね。私はマグロタイプなので、止まると死ぬというか、ずっと動いていたい。そういう意味で、コンビニ業界や人材ビジネスはすごく性に合っていたんですよね。なので、行動とスピードに変化が加わり、有言実行・即実行も常に実践しています。
能ある鷹は爪隠す、と言いますけど、自分は爪を隠せるタイプではなくて、すぐに人に言っちゃうんです。人に言うことで、自分を奮い立たせ、やらないと格好付かないと思うようにして。そうやってエンジンをかけてとにかくやってみる。計画はほどほどですが、とにかく動いてみる。そしてトライアンドエラーを重ねる。今の流行りで言うと「アジャイル経営」ですかね。
作りながら、トライアンドエラーしながら、時には立ち止まって計画を見直しながら進めていく。今のシステム開発は軽く設計したらすぐに動かしてみて、うまくいかないところを改善してなど、小さな単位で実装とテストを繰り返していく手法を用いています、それをアジャイル開発と言います。
私の仕事の仕方もアジャイルだと思っていて、トライアンドエラーをしながら、お客さんにこういうのどうですか?とか、これをやってみようと思いますけど、どう思いますか?、とりあえず一回やらせてもらっていいですか?っていうのを繰り返しながら、軌道修正しながら前に進めていくというのがポリシーです。有言実行で、自分でどんどんやるという行動力や推進力は大事にしています。

──最後に、多胡さんがこれから作っていきたい未来や、今ご自身が目指してる未来などがあればお聞かせください。

多胡さん 「ライフミッション」という言い方をしているのですが、ビジネスのミッションよりもっと大きな、自分の人生をかけて成し遂げたいミッションというのがありまして。
それは「次世代のリーダーに道をつくる」ということです。

会社でマネジメントの経験をさせてもらったことによって、自分にスポットライトが当たることより、メンバーや若手に光が当たる。これからの日本を支えていく、次の世代を担う人たちが輝く“場”と“機会”を創造していく。これが私の中での「次世代リーダー育成」なんです。

人材育成という仕事をしているので、“教育”とか“育てる”という言い方をしますけれども、そもそも人って簡単に育てられるものじゃないですよね。進む道を一緒に考え、人それぞれが成長できる可能性のある環境を用意し、適切なアドバイスやフィードバックを繰り返しながら、時には具体的なやり方を教えることが必要ではないでしょうか。その中で、本人が自分で道を進みたいと思ってくれれば、我々や上司の立ち位置は“横から”支援をしてあげること。
これが、人が成長する原理原則だと思っているので、私の役目として研修もそうですし、1on1もそうですし、壁打ちをするのもそうなのですけど、彼らが成長するための道を作り、横からサポートしたりすることにトコトンこだわりたいと思っています。
もう50歳になりますので、あとの50年というのは、後世のために役に立つ貢献をしていく。そういう生き方をしていきたいと思っています。

多胡さんの熱いパッションの中には、静かに、でも確固たる青い精神、BLUE Spirit が脈々と流れていると感じました。素敵なお話をありがとうございました。

多胡 敦史 Atsushi Tago
株式会社ポジティブ・キャリア
代表取締役
https://posica.jp/
国家資格 キャリアコンサルタント
ビジネスコーチ社認定ビジネスコーチ
日本プロフェッショナル講師協会™ 認定講師
FITファシリテーター、HRアセスメント診断士

【経歴】
テンプスタッフ株式会社 [6年]
人材紹介・派遣の法人営業。大手町エリア担当、総合商社専任担当を経て、人材紹介事業部立上げなど経験。若手育成プロジェクトの設立や、派遣スタッフの育成プログラムにも携わる。
※現パーソルテンプスタッフ株式会社

フランクリン・コヴィー・ジャパン株式会社 [4年]
『7つの習慣®』を中心としたリーダーシップ、マネジメント研修の企画営業。多種多様な顧客の教育体系構築に携わり、個と組織のリーダーシップ、ビジョン・ミッション策定、チームビルディングに注力。他にマーケティング、講師管理等。

株式会社ローソン [10年]
人事本部にて新卒・中途採用責任者として、上流の採用戦略の策定から施策運用まで関わる。退職率激減など、本部社員採用において様々な実績を残す。全国20万人のアルバイト採用・定着の仕組み開発も担当。
全社の横断型 組織活性プロジェクトの統括リーダーとして、社内コミュニケーション活性、表彰制度、全社イベントなど企画・運営。

株式会社ポジティブ・キャリア 2018年12月設立、代表取締役に就任。
新卒採用コンサルティングを中心に、様々な企業の採用・育成・組織変革に携わる。

メッセージ
人材サービスと事業会社人事として、一貫して人事・人材に関する経験を積む中で、自らが構築した仕組みで組織が加速度的に成長する姿を数多く見てきました。
『人と人をつないで成果を生み出す、連結型ビジネスリーダー』として、働く人と組織のキャリアを一緒に考え、企業の成長を本質からサポートするプロでありたいと願っております。