Interview _hirosato_Vol.1(全3回)

心地いい居場所を探して

THE BLUE Spirits インタビュー第1弾は画家の_hirosato_氏。
_hirosato_さんとは代々木八幡のカフェで開催された個展で出会ったのが始まりです。
緑が溢れる素敵な空間に、_hirosato_さんの青い絵がひときわ美しい光を放ち輝いていました。
インタビューシリーズ『青の琴線』、第1回目を飾っていただくにふさわしい、青のグラデーションが特徴的な「Womb」シリーズの絵を描く画家・_hirosato_さんに3回にわたり、語っていただきます。

旅先でふっと描き始めたのがきっかけ

──そもそも何をきっかけに絵を描くようになったのですか

_hirosato_ ュージーランドでバックパッカーをしていたのですが、その時にもうお金がギリギリになってきて、明日どうしようとか何も考えていなくて、たまたま町外れの小川のほとりで昼寝をしていたら、なんか気持ちいいなって思った時に、ボールペンでふっと何か描いてみようってメモ帳に描いて。意外とかっこいい模様を描けるじゃん!って思いながら。そこから旅の間に少しずつ描くようになりましたね。

──どんな絵を描いていたんですか

_hirosato_ その時は、曼荼羅アートのような、中心から花が広がるようなものだったり、動物を描いたり、木や川を線で表現するデッサンを描いていて。
日本に帰ってきてから友達に見せたら、カッコいいじゃんと言ってもらえて、それをスニーカーにして欲しいと依頼をいただいて。そこで完成した時、自分の絵に価値があるんだなと思って。
その時スニーカーに描いたのは曼荼羅でした。そんな流れだったんですよ。旅先でふっと描き始めたのがきっかけです。

──ニュージーランドへ行ったのは何歳のとき?

_hirosato_ 30歳のときに。ストレスフリーになりたいし、とにかく何も縛られない生活がしたかった。それで行ったのですが、実際に行ったら叶っちゃって、何か満たされちゃったというか。
本当にやりたいと思っていた“その日暮らしの旅”もできているし、自分は何がしたいんだろうなぁとぼんやり考えていた時に、自然と楽しそうだから絵を描き始めた、という感じです。


実際に描いていて楽しかったですね。純粋に楽しくて、きれいな景色、気持ちいい空間で何か表現してアウトプットしている自分が気持ちよかった。
何かを描写するというよりは、もっと抽象的な感じでしたね。ここに丸を描いたらしっくりくるとか、この曲線で模様を描いたら滑らかないい流れだなとか、そういう“気持ちいい”を埋めていく感じで、無心で描いていました。

絵は場所と時を超えて人の気持ちに作用する

──アートに関心を持つようになったのは?

_hirosato_ 描くきっかけとしてはそれなんですけど、絵やアートがいいなと思うようになったのは、同じニュージーランドでの旅で、前半の到着して5日目ぐらいのときに、日本人が全然いないような港町で大きな壁画を目にしたんです。
港にある倉庫の壁に、絵と日本語で「海が大好きな土地が大好き」って書いてあって。絵の内容はふわっとしか覚えてないんですけど、日本語だったので、ここに日本人がいたんだ、外国の人しかいないような場所に、かつて仲間がいたんだという安心感を感じた時に、絵は場所と時を超えて人の気持ちに作用するんだなって思って。それで、すごく絵っていいな、アートっていいなって感じていて。心がすごく動いたんですよね。
その時から、何かを描くっていいなということは旅の中で意識はしていた気がします。
旅先でお金がなくなってきて、何もすることがない時に、たまたまペンとメモがあったっていう状況がうまくつながって、描いてみようって思ったのかな。そういう流れで描いたのだと思っています。

曼荼羅アートから、_hirosato_自身のアートができるまで

──今の作風になったのはどんな経緯がありますか?

_hirosato_ スニーカーに曼荼羅を描き始めてから、今の抽象画の制作が始まるまでに約2年あるんですね。
はじめはスニーカーに曼荼羅を描いたり、かばんのブランド、帆布バックのブランドさんと一緒に鞄に絵を描くとか、一緒にポップアップに出させてもらったりとかで、何かに曼荼羅を描くという活動をずっとしていて。デザインみたいな感じですね。それをやっていたんですけど、価値としては、かばんや靴をなかなか上回れないから、相場が決まっちゃっている状態で、このまま描き続けていくのもちょっと厳しいなと思って、その活動に限界を感じ始めてたんです。そんな時にたまたま知人が主催するアートイベントに誘ってもらったんです。

Mandala sneakers
Blue mandala

──イベントに出展するきっかけは?

_hirosato_ たまたまですね。誘ってもらう少し前にある方の個展に遊びに行ったことがあって、自分も絵を描いていますよという話はしていたんです。その個展のあとに声をかけてもらって、そこで原画の展示販売を挑戦してみることになったのが、ターニングポイントになりましたね。

──そこで挑戦することになって、ご自身のオリジナル作品が生まれていくのですね。

_hirosato_ そうです。最初は曼荼羅アートで誘ってもらったんですけど、曼荼羅アートというジャンルができちゃってる以上、自分自身のアートではないという感覚が強かった。彼女みたいな第一線でやっている人や、その周辺の人たちと一緒にやる時に、曼荼羅アートで出すというのは、何かもう太刀打ちできないような気がして。
曼荼羅アートのhirosatoです、ではなく、hirosatoという自分のアートがないと、やってる人たちと同じ土俵に乗れないと思った。それで絵の具を買ってきて試行錯誤しているうちに、この絵が生まれました。

──どういう制作過程でこの絵が生まれたのですか

_hirosato_ 元々は背景として、こういうグラデーションがあったらきれいなんじゃないかと思って、描いてたんです。この上に模様の絵を描こうと思って。だけど、いざこれができた時に、逆にここに何も描かない方が完成されているんじゃないか、という感覚が出てきて、これ以上描いたらダメになるなと思って、そこで手を止めて見てみたら、やっぱりこの形が一番、過不足ないじゃん、としっくりきたんです。なので、最初は背景のつもりで描いていました。

──じゃあ最初からもうこれだったんですね。

_hirosato_ そうですね。あともう2パターンぐらい描いていて、光が全くなくて、青の色ムラとかを作っていた時もありました。ストライプ柄にしてみたりとか、そういうのもあったんですけど、一番自分が気持ちいい絵を探していたら、この模様になっていったというか。なので他の2つは潰しちゃって。

──お話を聞いていると、“気持ち良さ”というのがポイントにありそうですね。

_hirosato_ しっくりくる何かを探していく旅なのかなと思います。曼荼羅を描いている時も、このラインがしっくりくるとか、ここに丸を打っていくと綺麗だな、とか。そのしっくりくる気持ちよさで描いていましたね。

Vol.2に続く・・・

_hirosato_ 
画家

海との触れ合いで強迫性障害を寛解した経験から、自然が与えてくれるエネルギーと受容性を探求し表現する抽象画家。
青山学院大学心理学科卒業後、ジュエリーメーカー勤務。
30歳目前で会社を退職後、オーストラリア留学、ニュージーランドでのバックパッカー生活でアートと出会い、独学で絵を描き始める。
2021年から画家として東京・湘南を拠点に活動している。

=主な活動経歴=
2019年
第49回純展 / 入選
2020年
グランデュオ立川 / ポップアップ出店
2021年
砂漠の水プロジェクト / 出展
2022年 茅ヶ崎徳洲会病院 / 個展
オリエンタルバーIGAO / 個展
2023年 茅ヶ崎徳洲会病院 / 個展
Gallery & Cafe Kuko / 個展
第42回横浜開港祭 / マリンアート担当 新宿伊勢丹90周年企画 / 参加