THE BLUE Spirits インタビュー第16回は、天と地のアーティスト、こつがいきょうこさん、小番英世さん。ご夫婦でアーティストとして活動されています。
きょうこさんが天として、宇宙や銀河、そして日本の神々のエネルギーを描き、英世さんが大地のエネルギーとして、富士山などの作品を描いていらっしゃいます。
富士山の麓で採れる珍しい砂を使用した作品は、ブラックライトを当てると青く地球が浮かび上がる・・。
海外の展覧会に出展し、数々の賞を受賞。日本国内では神社仏閣へも奉納されてきたおふたりの軌跡をたっぷりとお伺いしました。


──きょうこさんが絵を描くようになったきっかけをお聞きかせいただけますか?
きょうこさん 2001年に、夫の英世さんの転勤で山梨県へ引っ越したんです。その場所が龍王町という名前だったんですね。
そこに住むようになってから、きれいなヴィジョンを夢で見たり、白昼夢でふわっと映像が浮かんできて、そういうものをたびたび見るようになったんですね。色付きであまりにもきれいだったから、英世さんにこんなのが見えたんだよ、と教えたくて絵を描くようになったんです。ですが、子供の頃に絵を描いたら、学校の先生に「下手くそ」と言われたことがあったので、絵を描くのがこわかったんですね。
その頃、私はアロマの先生をやっていこうと思っていて、認定校の資格を取りました。それでアロマの勉強会に自由が丘へ行った時に、たまたまパステル画の合同展をやっているところを通ったんです。一緒に勉強会へ行った友人が、その合同展を見てみようと言って、そこに入っていきました。
会場の方から「絵を描いてみませんか?」と言われたのですが、先ほどもお話したように、小さい頃に下手くそと言われていたので、「絵なんて描けません」とお断りしたんです。ところが「大丈夫ですよ。描いてみましょう」と言われて、座ったんですね。
そうしたら、座った瞬間に、いろいろな色が浮かんでくるんですよ。その時、パステルを初めて触ったのに、何かこみ上げるような、泣きたくなるような不思議な感覚でしたね。
それで色を塗った時に、急に立ち上がって「これでいいんだ!」って言ったんですよ。本当にこれでいいんだ、って、自分のような、自分でないような感覚でそう思って。
その時に、走馬灯のように、心理学を勉強したな、法律も勉強したな、って、これまで経験したことが、ぐわ〜って見えて、それで「くるん」としたんですよ。統合されたというか。そういう風にしか表現できないんですけど(笑)
それまでは、何をやっても、まだ足りない、まだ足りない、という状態だったんです。いろいろ勉強していても、もっともっと、っていうのってあるでしょう?

私はそれまで、犯罪被害者の方の支援をする活動をしていたんです。法律を学び、犯罪被害者の心のケアのために勉強したり、さらにはアロマを学んでいました。
その時、通り魔事件があり、被害者のご両親が勉強会に来られていました。そのお母さまがずっと眠れないとおっしゃっていたので、小さな瓶にアロマのラベンダーオイルを入れたものをプレゼントして、寝る前にこれをつけるとよく眠れると思いますよとお渡ししたんです。
そのあと2週間後に、旦那さんが来られて、あの日、初めて妻が眉間にシワを寄せないで寝ている顔を見ました。いつも苦しんでいたので、本当にいいものを教えてもらいました、ありがとうございます、とおっしゃってくださって。
だから本気でアロマを勉強しようと思ったんですね。アロマスクールの認定資格も取得して、アロマを仕事としても本格的にやっていこうと思っていた矢先に、ビジョンが降りてくるようになって、パステル画に出会い、絵を描くことが始まったのです。
そのこともあったのですが、犯罪被害者の支援のための勉強会に行くと、二次被害に遭っている自分がいるんです。
被害に遭ったご本人や、ご家族がいらっしゃるので、そこへ行くと自分も同調してしまい、帰りの飛行機の中で泣いていたり、家に帰ったら、私が苦しいと言うので、英世さんも苦しかったようです。
そういうこともあって、今まで法律を勉強したり、心理学を学んできたけれども、何をやっても、何か違うという感覚があって。私は傷ついた人の役に立ちたい、という想いが強くあったのですが、自分も苦しくなってしまっていた時に、パステル画と出会い、降りてくるヴィジョンを描いたときに、これなら私がやりたいことが全てできるんじゃないかと。
そのあとは絵を描くことに夢中になっていきましたね。私の場合は描くというより、ヴィジョンで見えたものに色を塗ったりしながら形にしていくのですが、そのヴィジョンがどんどん大きくなっていきました。
ただ、法律も心理学もアロマもすごく勉強していたからもったいないという気持ちもあったんですね。だけど、それをやろうとしても全然うまくいかなくて、「絵」だとうまくいくんですね。
それで結局、「絵」だけでやっていこう、と動き始めたら、2007年のカンヌ国際展覧会で銀メダルを受賞し、そこから芸術の世界に入っていき、20年続けてきました。まさか自分の人生の中で、絵を描くなんて想定していなかったですね。


──ブラックライトを照らして青く浮かび上がらせる作品は、どういう経緯で作られたのでしょうか?
きょうこさん 友人が病気で入院していた時に、プラネタリウムを見に行けなくなってしまったと言っていたので、病室でも見せてあげたくて、試行錯誤して作りました。
当時はまだ砂を使っていなかったので、アクリル絵の具で銀河の絵を描いて、どうやったらプラネタリウムのようにできるかを研究したんです。それでブラックライトに反応する素材があるとわかり、それで作ったんです。
病院に運んで見せたら、友人がすごく喜んでくれて。だからなおさら、絵というもので、きっとできることがある。そう確信しました。


2011年3月11日に発生した東日本大震災のあと、私は実家のある秋田で、5月に英世さんと二人で展示会を開催しました。毎日観に来られる女性がいらっしゃって、私の「愛をまなび愛をおくる」という地球と銀河を描いた作品の前で、涙をこぼされたんです。
「どうして泣いていらっしゃるんですか?」と聞いてみると、「わからない」と言うんです。
ただ、自分は震災で家を流されてしまい、今は親戚の家に来ている。実家もなくなってしまったし、お金も無くなってしまい、生きるのに必死で、こうして絵を観に行くことなんてもうないと思っていた。一番つらいのは、芸術や文化と引き離されていくことだと。
でもこうして、海外に出展されている絵を見ることができて、本当に嬉しいです、とおっしゃてくれたんです。
その経験を通して、これが芸術のできることだなと実感しました。あの時、5月に秋田で展示会をやることは半年前から決まっていたのですが、震災のあとで、こんなときに展示会をやるなんて・・と多くのアーティストは思っていたのですが、だけど、そういう時こそ必要だったんですよね。
みんな、気持ちが沈んでしまっているので、ぜひ来てもらいたい、と主催の方にも言われて、40点ほど展示させていただきましたが、みなさんから喜んでもらえて本当に良かったと思っています。
人が生きて行く上で、芸術や文化がすごく大事なことだと、その方から教わったことは自分の中でも大きかったですね。それが芸術の本当の道じゃないかと思いました。
ヴィジョンを表現したパステル画から世界へ
──カンヌの国際展覧会へ出展するきっかけを教えていただけますか?
きょうこさん 私は最初、見えたヴィジョンを押し花や切り絵を使って、平面に描くだけではなく、立体的なものを作っていたんです。その時に、切り絵作家の蒼山日菜さんと出会い、メールをやり取りするようになりました。当時、彼女はフランスに住んでいたのですが、私の作った押し花の絵を見て「すごく綺麗で、独創的ですね」とおっしゃってくださったんです。
そのあと、彼女がフランス人のチームとして、東京ビッグサイトの展示会に参加するため、日本に行くので会いませんか?ということになり、彼女とお会いしました。
彼女の切り絵は、すごく繊細な作品なのに、人柄は男前なさっぱりした性格だったので、意気投合して。
あなたはすごくユニークな作品を作るから、ちょうどカンヌで展覧会があるから出しませんか?とお声がけしてくださったんです。それを英世さんに話したら、そんなチャンスはなかなかないから出したらいいよと応援してくれて。それがカンヌ国際展覧会・世界の文化とアート展だったんです。
カンヌ国際展覧会は、世界各地から700人くらいの応募者がいて、二次審査まであるという話でした。一次審査は写真を送って通過し、二次審査は現地に作品を送ることになっていたのですが、蒼山日菜さんが持っていってくれたんです。さらに一次審査に通過しても、二次審査の会場で作品がそぐわないと判断されると返されてしまうんですね。
その時に出展した作品が、青色の背景で創った「瑠璃色の記憶」と「希望の丘」いう2作品だったんです。
まずは、一次審査には通過したのですが、大きな国際展覧会なので、一次審査に通過しただけでもすごいから、経歴にも書けるし、スタートとしては十分だろうという話でした。なので、そのあとすっかり忘れていたら、二次審査を通過して、作品は展示され、銀メダルを受賞したという連絡があったんです。
英世さんにも、銀メダルとったみたいよ、と話したら、誰が?と聞かれて、私が(笑)って。
そのあと銀メダルが送られて来たので、本当だったんだと実感しました。
さらにメダルを受賞した人たちで、ニューヨークで展示会をやろうということになり、グループ展に出展しました。
──それはすごいですね。最初の押し花を使ったミクストメディアの作品から、今の砂を使った作品になっていく変遷をお聞かせいただけますか?
きょうこさん カンヌで受賞した作品を見た人の中に、オーストラリアの画商がいたんです。その人からオーストラリアでシドニーとメルボルンでコンクールがあるから出しませんか?とメールをいただいて。
その時、詐欺の話もよく耳にしていたのですが、私はそういう直感だけはあるので、その人に会えますか?とお返事をしました。メールではなくて、実際に会いたいと。それで代官山でお会いすることになり、マネージャーの方がいらして、自分たちの会社はオーストラリアにあり、こういう意図でメルボルンとシドニーの展示会へ出すので、海外への一つのきっかけになるから出展しませんか?というお話だったので、私も出展することにしたんです。
だけど、押し花を使ってガラスで密封する作品だったので、海外に送る時に、ガラスがまずダメだということと、植物も検閲で引っかかってしまうので、違うものを作ってください、というオファーだったんです。
最初のカンヌ国際展覧会は、たまたま蒼山日菜さんのおかげで出展できましたが、今回はさらにサイズも大きくしないと作品が見劣りする、と言われてしまい、どうしようかと悩んでいた時期があったんです。
そんな中、ある夜の明け方に「そんな時はパステルを絵の具に変えて、植物を砂に変えればいいんだよ」という言葉が聞こえたんです。それで飛び起きて、英世さんにこんなこと言われた気がする、と伝えて。じゃあドライブがてら、山に行ってみよう、ということになりました。
山の方に行ったら、黒い砂山があり、気になったので行ってみたら、そこにおじいさんがいて「これは砂ですか?」と聞いたら、「砂ですよ」と。特殊な場所から採れる砂で、そののち、そこの写真を撮ったら、きれいなオーブが無数に映っていて、とてもエネルギーの高い場所だということがわかりました。それでおじいさんに「私は絵を描いているので、これを画材として使いたいので譲ってもらえませんか?」とお願いしたら、「いいよ」と言って、分けてくださったんです。
その砂を持ち帰り、いくつも試作品を作って、再現性のある作品ができるまでに相当時間がかかりました。要は、ちゃんと砂が付いて落ちずに、その上から絵も描いて作品として完成させるということなのですが。
やっていておもしろかったのは、この砂を使うと影ができるんですね。それを見て、すごくときめいて。砂はすごいなぁと思いました。
それでようやく作品が出来上がったので、そのおじいさんのところへ持って行き、「おじいさん、こんなのできましたよ!」と見せたんですね。
そしたら、そのおじいさんが「今まで何人か、この砂が珍しいから使いたいので譲ってくださいと言って来た人にあげてきたけれども、あなたみたいに、できましたよ!と作品を持ってきたのは初めてです」とおっしゃってくれて。
「これからは、この砂はあなたたちだけにあげます」と。それ以来、私たちだけにこの砂を譲ってくれるようになりました。だからこの砂は、今では世界でも私たちだけしか使っていないんです。
この砂のことを母親に話したら(もう亡くなりましたが)、「きょうこは小さい頃から砂が大好きだったのよ」と。暗くなるまで砂場でずっと遊んでいたらしいんです。人形遊びよりも、砂場が好きで、海へ行っても、砂でずっと遊んでいたようです。
──きょうこさんは、その記憶はあるのですか?
きょうこさん 母に言われるまで、そんなことは思い出したこともなかったんです。でも確かに砂遊びが好きで、泥だらけになって遊んでいたなと。公園に行ったら、ブランコよりも砂場を探すくらい好きでしたね。
しかも旅行に行くと、土で作った土鈴を見つけては買っていたんです。だから母が亡くなったあと、部屋を片付けていたら、土鈴がたくさん出てきたんですよ(笑)
──砂とご縁があったんですね。
きょうこさん そうなんです。そのあと、神様のことを読み解ける人が、私たち夫婦はツインレイのようなもので、泥と水の神様にゆかりがありますよ、とおっしゃったんです。それ以来、作品に使うのは土でいいんだと迷いがなくなりましたね。
──その後、海外への展示会に出展されたのですね。
きょうこさん そうです。初回のカンヌ国際展覧会では、銀メダルだったので、もう一度出展して、金メダルに挑戦してみたいと思い、海外へアテンドしてくださる方を探していた時に、ある旅行会社をネットで見つけたんです。ここに聞いたら何かわかるのではないかと思い、そこへ問い合わせて、自分の経歴やカンヌ国際展覧会で銀メダルを受賞したことなどを伝えて、どうしてももう一度挑戦したいので、何かつてはないですか?とメールを送ったんです。
そしたら、その旅行会社には日本とフランスの架け橋をしている美術商部門があったんです。そこの代表が、私の絵を見て、非常にユニークな作品を作ってらっしゃいますね、とお返事をいただいて。
私どもは日仏の旅行会社が表向きですが、美術商部門があります。日本とフランスのアーティストをつないだり、その作家の作風に合わせたアートフェアを探して、出展している。しかも権威の高いアートフェアにしか出していないと。あなたの作品はすごくユニークなので、一度出してみませんか、と言ってくれたのです。
そんなご縁があり、ニースの国際アートフェアに出展したら、モナコの方が買ってくださったんですね。全く初めての作家だったから、美術商の方も驚いていましたが、また来年もお願いします、と言ってくださり、そこから15〜16年間一緒にやらせていただきました。
──海外での反響はどうでしたか?
きょうこさん 私たちが出展したアートフェアは、ヨーロッパのプロしか出展できない権威ある展覧会ばかりでした。ヨーロッパでは芸術家は「医者・弁護士・芸術家」というくらい、すごくリスペクトされているんです。
美術商からは、だからこそ、そんな権威あるアートフェアに出展しているので誇りを持ってくださいね、と言われました。現地のみなさんもアート作品を見る目が違いましたね。
しかも私たちは、アジアで1社の日本人選抜作家チームとして10数名で参加していたので、、現地の方たちにはこんな遠いところまで、日本から来てくれてありがとう、みなさんのおかげで、今年もこんな大きな国際アートフェアができました、と言っていただきました。
また、夫婦で参加したアーティストは私たち夫婦を含めて、全世界から3組だけということでした。セザンヌの生誕地で開催されていたのですが、その5日間は地元の新聞が一面このアートフェアの話題になっていていました。「リスペクト」という言葉が一番ピッタリくるような展覧会でしたね。
天と地のアーティスト
──きょうこさんにとって、絵を描くことは、どんな意味がありますか?
きょうこさん 絵はね、見えないエネルギーを具現化しているものだと思うんです。あとは、魂を取り戻す一つの手段。作品を見た人は内なる記憶を取り戻しているはずなんですよね。それはよく言われます。
すごく懐かしい感じがすると言って、いきなり泣いてしまった人もいました。品川の展示会では、銀河の絵の前で、女の人が涙をこぼしてしまって。どうしました?とお聞きすると、わからない。わからないけど泣いているんです。
だけど、家に帰ったら、いろいろなことを思い出したそうです。いわゆる過去の記憶ですよね。
あとは、なぜこの人のことをこんなに好きなんだろうっていうことが分かった気がする。そういうことをおっしゃった方もいます。
──きょうこさんが描くのは、降りてきたイメージをそのまま描いていらっしゃるんですか?
きょうこさん イメージをストックしている感じです。今はそう思います。絵を突然描くようになった当時はもう意味がわからなかったけれども。作風がみんな違うでしょう。銀河の絵だったり、宝石を使ったり。それはそういうチームがいる感じなんです。
──チームですか?
きょうこさん こういうの描いてね、というヴィジョンが見えるんですけど、それはつまり、こういうエネルギーがあるから、こういう形に具現化してね、と伝えてくるチームがあると想像してください。
例えば日本の神々という神様の名前があるけれども、あれはエネルギーの形だから、その日本の神々を世界に紹介するために書いてね、というチームがいて、そういうメッセージをもらったり。
それから宝石のエネルギーは、人類を幸せにするために存在するので、これをちゃんと伝えましょう、というチームがあったり。
宇宙のエネルギーや、富士山のエネルギー、そういうものを形にしてほしいというチームも存在していて、それらが次の制作を待っているんです。
絵を描き始めた頃は、明日出来上がるから、もうすぐできると思って、夜寝ると、もう次の日の朝は、違う作品を描きたくなっていて、別の作品を作り始めてしまうんです。だから完成しなくて、困ったなということがいろいろありました。それは、次のチームが前のチームを押し退けてしまっていたんです。完成寸前で私ができた!と思ってしまうから。完成しないまま、次に行ってしまうということがけっこうあったんです。
そういうことがチャネリングの先生のところに行ってわかったんです。それはあなたが自分で主導権を持ってないからだと。
向こうの方が、霊的な波動も高いけれど、体を使ってその仕事をしているのはあなたなので、ちゃんと自分の意思を持って、この作品が完成するまで待ってください、今は私はこの作品を完成させます、と宣言しましょう。そうしない限り、向こうの世界の住人はノーと言わないものは、イエスと受け取るので、と。
そんな風に次の作品を作ってもらうために控えて待っている存在がいて、それぞれエネルギーの特徴があるので、表現としては「龍」がいい場合もあるし、「宇宙の絵」がいい場合もあるし、みんなが受け取りやすい状態にしてエネルギーを具現化して届けていくんです。
アセンション前のときは、チャネラーのリサロイヤルさんから、ものすごく大きなエネルギーが降りてくるので、この絵がクッションとなり、私がエネルギーを受け取って、アートに変換して、そしてこの絵がクッションとなってそのエネルギーをやわらかくしてから放出する役割があるんですよ、と言われました。最初はさっぱり意味が分からなかったですし、今でもよくわかってないですけど(笑)。それでも、戸惑いながらでも、続けていくことに価値があると言われましたし、続けてきたことに非常に感謝していると言われました。
──絵を描くときに、きょうこさんの意図はまったく入らないのですか?
きょうこさん 描くときには入らないですね。もちろん、構図をどうするかなどは考えますが、色を塗ったり、どこに砂を使うとか、石を選ぶという時は、ほぼほぼ考えてないですね。だから、新作を描きながら、新しい技術を探っていく、ということの繰り返しです。
絵をの中のエネルギーなどを見る能力のある人たちは、この絵の中にあなたはいないとよく言われます。よく作家が作品に魂を込めるとか言いますけど、そういうものは入っていないと。
──なるほど。描いている時、きょうこさんは楽しいですか?
きょうこさん めちゃくちゃ楽しいです!食事も忘れて没頭したり、気がついたら夜になっていたこともよくあります。時間を忘れるくらい楽しいです。
石を1つ取っても可愛いと思うし、砂のさらさらきれいな音が聞こえたり、鈴のような音が聞こえる感じがしたり。ものすごく楽しいですね。
だから、出来上がった時は超ご機嫌で、あぁ楽しかった!という気持ちだったり、今日もいい1日だったねと、楽しんでやっています。

──ご夫婦で、天と地のアーティストというお名前は、ご自身で考えられたのですか?
きょうこさん そうです。でも、降りて来た感じもありますね。英世さんは私の少しあとから絵を描き始めているんです。
お互いに独自のやり方で描いていて、私は最初から宇宙や銀河や地球を描き、英世さんは富士山や大地のものを描いてたので、「天と地のアーティスト」というフレーズが降りて来て、そう名乗るようになりました。しかも、夫婦でアートをやっている人たちが、いるようで、実はあまりいないんです。お互い画家でも、単体でやってる人が多いので、私たちは二人一緒に活動していることがすぐ伝わるようにと天と地のアーティスト™と名乗るようになりました。
それで私たちはユニットという形にして、単体で活動する時、私は光の表現者®という商標で、あなたの内なる光を表現したり、美しいものを表現する者、として活動しています。
私たちはすごく仲がいいし、それぞれの仕事があったのに、今こうやって一緒に絵を描いていくとなったということには、二人でやることに、きっと意味と価値があるはずだと思ったんです。
私たち二人のカップルのエネルギーだったり、画家という体験を通して、今世で再会したという確信があったんです。二人で絵を描いて時間を過ごすのは、すごく素敵なことだし、こんなに楽しいことはないから。
同じ目標を持って活動し、一緒に生きていく。私たちはそういう関係性のカップルを、男女に関係なく、ペアソウルという概念があります。だからこうして一緒に作品を作り、神社にも奉納しています。
──これまでどちらの神社に奉納されましたか?
きょうこさん まずは京都の出雲大神宮ですね。そこは元出雲といって、出雲大社の大元と言われています。
──そこへ奉納するきっかけは何かあったのですか?
きょうこさん 以前、私がパステルアートの体験会を開催した時に、京都在住の女性が参加してくださったんです。その方が兵庫県西宮市で個展をした時にも、京都からわざわざ来てくれて。京都でも個展をやってくれませんか?と提案されたので、場所があれば行きますよ、とお返事したら、私たちの絵だったら絶対に出雲大神宮がいいとおっしゃって、掛け合ってくださったんです。
その女性が自分で私たちの作品のポートフォリオを作り、出雲大神宮の宮司さんに会いたいけれども、いきなりだと宮司さんも驚くので、まずは参道で飴を売ってるおばさんに私の絵を見せて、この方は絶対に出雲大神宮に来なくてはいけない、と話をされたそうで、飴屋のおばさんも共感してくださり、私が宮司さんに繋いであげますから、と言ってくださったそうです。
その時に、宮司さんにお手紙を書いてくれませんか?と依頼があったので、
「私たちは、日本の神々を世界中のみなさんにご紹介したいという意図を持って活動しており、フランスに出展したりするのも、そういう使命で芸術活動をしています。光の御柱の作品の写真も載せて、出雲大神宮の神様にも見ていただきたいと思います」とお手紙を書いたんです。
そうしたら、ぜひ、ということでご快諾いただき、あっという間に個展を開催することになりました。
そのあとは宮島弥山大本山大聖院さんですね。宮島も同じような流れで、私たちがそこでやりたいと言ったのではなく、私たちの作品を見た方々が、宮島へ橋渡しをしてくれたのです。本当にありがたいことです。神様のお導きですね、とみなさんおっしゃいます。
それから、山口県防府市の玉祖神社(たまのおやじんじゃ)。そこは、勾玉の神様を祀っていて、主祭神が神社名にもなっている玉祖命なんです。そこでも同じように、山口県にお住まいの方がお話してくださり、開催が決まりました。
私たちはアートを通して、“光の柱を立てる”という大切な役割を担っていると感じています。そのため、個展を開催させていただく神社には、心を込めてお手紙を書き、丁寧にお願いをしています。
──それは、神社に光の柱を立てるという意図があってやっているのでしょうか?
きょうこさん いえ。神社はもともと神聖な場であり、すでに光の柱が立っている場所だと感じています。
私たちが行うのは、その神聖な場のエネルギーと共鳴しながら、個展というかたちで“新たな場所”にも光の柱を立てていくこと。たとえば、展示会場や地域の空間が、アートを通じて神聖な光で満たされていく。
そんな“光の柱が立つ場所”がこの世界に少しずつ増えていくことは、私たちにとってとても意義深く、喜びでもあります。
──なるほど。
きょうこさん 神様の言葉を借りるなら、神社は“そのときに必要な人が導かれてくる場所”だと思うんです。だから、そんな場所に私たちの作品を届けられるというのは、とても意味深く、ありがたいことだと感じています。

テーマは『可能性を信じて生きる喜び』
──きょうこさんも青い色を使って作品を描かれたりしていますが、きょうこさんにとって「青」はどのようなイメージがありますか?
きょうこさん 青と聞いて、いろいろなイメージが浮かんできますけれども、まず一つは、記憶を呼び出すトリガーのような、きっかけになる色ですね。記憶だったり、誰かと再会していくきっかけだったり、忘れていたものを思い出していく。それが人との関係だったり、過去生であったり、自分がこの姿の自分でない時の記憶だったり、そういうことを紐解いていく。そのきっかけになる色が「青」だと思っています。記憶の鍵。そんな気がしますね。
──絵ではかなり青を使いますか?
きょうこさん もちろん、地球を描く時もそうですが、どこかしらに青は使いますね。あとは、表面に出ていなくても、下地に使っています。何層にも重ねて塗っていくのですが、必ず青は入っています。
青は自分がすごく静かになれる色。いろいろな青がありますが、私たちは表現者なので、その時々のエネルギーによって、さまざまな青を選べるというのはすごくおもしろいと思っています。
あと、小さい頃から青が好きだったことも思い出しました。周りに青が好きな人も多いですし、青が好きな人は、おしゃれな人が多いですね。
──きょうこさんにとって、青はどんなエネルギーがあるのでしょうか?
きょうこさん 静けさもあるし、感情を鎮めるとか、あるいはひらめきを与える、そして、繋がる。
宇宙空間の存在と繋がるというのもあるけれど、自分の内側にある光、それに真っ直ぐ繋がっている、青いビームのような感覚がありますよね。
──きょうこさんが、絵を描いたり、表現を通して、世の中に伝えたいメッセージはありますか?
きょうこさん 私たちのテーマは、『可能性を信じて生きる喜び』ということなんです。絵を見てもらったら、自分の中にはそういう可能性が無限にあって、それを信じて、生きる喜びを感じてもらえたらと思っています。
だから表現するすべてのエネルギーの母体はそこなんです。見た人が元気になったり、悲しくて仕方がないという感情が癒されたり、私が私として生きていて良かったなと思ってもらえたり。自分の中には無限の可能性があることに気付き、そこに喜びを持って生きていくようになってもらいたい。そんな想いがあります。
──素敵ですね。さらに今後の展開などあれば聞かせていただけますか?
きょうこさん 今後は、今まで個展をずっとやってきましたが、できれば自分の家をサロンのようにして、みなさんに来ていただけたらいいなと思っています。というのも、以前、お一人様展示会のようなことをやっていた時期があって、家には、圧倒的な作品の数があるので、それを見ていただいて、こちらが選んであげて、ご購入される方もいらっしゃったので、それをまたやれたらいいなと思っています。
1日1組〜2組くらいの個別の展示会ですとか、オンライン上でも展示会を開催したいですね。場所を限定してしまうと、来れる方の人数が限られてしまうので、もっと広く知ってもらうためにも、オンラインでやっていきたいなと思います。
あとは、アートから来る言葉があるので、それを紡いで、文章として表現していきたいですね。すごく物語があることがわかったので。
「地球ーTERRAー」という作品を作るまでに、なぜ描くようになったかという私の記憶の物語もあるし、銀河の絵を描くまでの物語もあります。そして作品自体に宿る物語もある。そしてこの作品から、観る方に届くエネルギーの物語があるから、そういうことも言語化していきたいですね。

──きょうこさんには、そういう物語がわかるのですね。
きょうこさん そう。わかるというか、降りてくるというか。一生懸命、頭で考え出すものではないですね。そういう物語が降りてくるから、自分でも読みながらワクワクする。
昨日もそうだったんです。私の指先は、筆ではなくて光だった・・というようなことが起きている。その作業はすごくおもしろくて、新しい感覚ですね。
特に沙羅さんとお会いして思ったのは、「光の表現者」という呼び名です。
表現者としての私が、画家として絵を描いたり、表現者としての私が、文章を書いたり、という風に考えると、すごく、表現の幅が広がるということが分かったんです。
今までは、絵を描く私が文章を書いていいのかなと、なぜかブロックになっていたんですね。あるいは絵を描く私が何か作っていいのかな、とかね。だけど、違うんですよね。私たちが表現するものは何だっていいんだと。チャネリングの師・リサロイヤルさんにそう言われたことを思い出したんです。
それは宇宙からもらったエネルギーを表現して具現化してることだから。それが絵であれ、言葉であれ、何だっていい。
だから、もっといろいろな表現で、幅を広げていきたいですね。
楽しいお話をありがとうございました!

天と地のアーティスト
こつがいきょうこさん
小番英世さん
https://kyokokotsugai-official.com/
《魂の青を思い出す旅へ》ペアソウルブルー
https://note.com/lady_terra/
「可能性を信じて生きる喜び」
〜可能性を信じて生きる喜びを自ら信頼して生きる世界へ〜
地球のギフトで宇宙を描く光の表現者
美術商: NFF JAPON推奨作家
私たちが作品制作において大切にしているのは「Amazing Possibility」です。
それはハッ!とするほどの、見たことが無いほどの、言葉にならないほどの、素晴らしい可能性の世界!
アート作品を通して「可能性を信じて生きる喜び」をお伝えしています。
天のアーティスト こつがいきょうこが表現する「推進のエネルギー」と
地のアーティスト小番英世が表現する「見守りのエネルギー」によって
具現化し創造された作品世界は、貴方の「可能性を信じて生きる喜び」を支えるものであると信じています。