
THE BLUE Spirits インタビュー第26回は、神奈川県相模原市・上溝で美容室「sora(空)」を営む、“そら翔ぶ美容師”こと渡辺そらさん。
青い髪がトレードマークのそらさんは、着物にハサミを一切入れず、着付けの技術だけでドレスへと変身させる「きものdeどれす®」を生み出し、パリ・ニューヨーク・ミラノと、世界の舞台で日本の着物文化を発信されています。
その華やかな活躍の裏には、14年間のDV生活から、現金2万円と子どもたちのランドセルだけを持って逃れたという壮絶な過去がありました。それでも「どこを見るかが全て」と、突き抜けた明るさで笑うそらさん。口にした夢が次々と叶っていく“ミラクル”の数々と、「女性は誰もが一生プリンセス」という信念に込めた想いを、たっぷりと伺いました。
七五三の着物が教えてくれた、“変身”の力
──まず、お店の名前「美容室 sora」の由来を教えていただけますか?
そらさん 美容の力を、垣根なく誰にでも届けたいと思っているんです。空って、みんなに平等にあるじゃないですか。世界中どこにいても、誰の上にも同じ空がある。分け隔てなく、みんなに平等に──そういう意味を込めて、先にお店の名前を「空」と決めて、そこから自分の名前も「そら」にしたんです。
──美容師を目指されたきっかけは何だったのでしょうか?
そらさん 小学校1年生、七五三の時です。当時いじめに遭っていたんですけど、着物を着た瞬間に自己肯定感がすごく上がって、嬉しくて。ヘアと着付けで“変身した喜び”で、自分に自信が持てたんです。その時に「今度は自分が、人の自己肯定感を上げてあげる側になりたい」と思ったのが原点ですね。7歳の頃から着物が大好きで、着付けはずっとやり続けています。
最初に入った美容室では研修制度があって、20歳と21歳の時に、1週間ずつロンドンのヴィダルサスーンへ行きました。でも技術そのものは、日本が世界一なんですよ。日本人の髪は硬くて太くて、東洋人の中でも一番難しい。西洋人の髪は柔らかくて癖があるから、どんなカットラインも馴染むんです。その一番難しい髪をこなしている日本の技術は、本当にすごい。私がロンドンで心を動かされたのは、むしろ街並みでした。これだけ歴史と文化が息づく街を見て、「着物の文化を世界に広げたいな」って純粋に思って帰ってきたんです。
「言うと叶う」の始まり
──そらさんといえば“言うと叶う”人。その感覚は、いつ頃からあったのですか?
そらさん 最初は意識していなかったんです。でも振り返ると、長男がまだ赤ちゃんの頃から始まっていて。ホテルのロビーで離乳食を食べさせていたら、同じくらいのお子さんがいる会社の女性社長さんに悩み相談をされたことがあったんです。名刺をいただいたので、帰ってからお手紙を出したら、後日、なんと鈴木雅之さんのディナーショーのペアチケットが送られてきて。私、鈴木雅之さんをその時よく聴いていたんですけど、好きだなんて一言も言っていないのに(笑)。
──すごい偶然ですね!
そらさん そんな小さなことなら、もっとたくさんあるんですよ。まだ携帯電話がガラケーの時代に、「赤外線でデータを飛ばして写真をプリントできる、チェキみたいな機械が欲しいな」と思っていたら、行きつけのお店でよく一緒になるおじさんが「携帯に赤外線機能付いてる?」って聞いてきて。「付いてますよ」と答えたら、その機械をプレゼントしてくれたんです。欲しいなんて、そのおじさんには一言も言っていないのに。
あとは、自分でうっかり車に傷をつけてしまったことが3回あるんですけど、そのたびに相手の車がぶつかってきてくれて、事故の修理で傷ごときれいに直っちゃう(笑)。私は一度もケガをしていないんです。「直ったらいいな」が引き寄せていたのかもしれないですね。
14年間のDVから、ランドセルだけを持って。
──そらさんがシェルターへ逃げるまでの経緯は、壮絶なご経験だったと思うのですが、お話しいただける範囲でお聞かせいただけますか?
そらさん なんでも話しますよ。元旦那も美容師で、身長183cmの人でした。殴られる、首を絞められる──それが日常茶飯事で。よく映画やドラマで殴られるシーンがありますけど、「あんな殴られ方はしないよ」って思うんですけどね。本当にボコボコに顔をやられる。だから私は、顔とお腹を守るためにダンゴムシみたいに丸くなって転がるんです。向こうは殴りたいから、私の両手首をつかんで引きずり上げて、体を伸ばそうとする。殴る瞬間には片手が離れるから、その隙に手首を抜いて、また丸くなる──その繰り返しでした。警察に行った時も「外傷はありますか」と聞かれて、「両手首が痛いです」って。顔とお腹を必死に守ろうとするから、両手首が痛いんです。
──そこからシェルターへ逃げる決意をされたきっかけは?
そらさん 私さえ我慢していれば、子どもたちには手を上げないから大丈夫、と思って、誰にも相談せずに14年間耐えてきたんです。でも、元旦那の身内には自殺した方が5人もいて。ある日、元旦那が「俺も朝起きて首を吊ってたらごめん」と言い始めたんです。一家心中でもされたら大変です。「父親が殺人犯になって、母親が死んでしまうことが、子どもにとって一番最悪。それに比べたら、離婚と転校の方がずっとマシ」──そこでやっと冷静になれたんです。それまでは「子どもには離婚と転校がかわいそう」と思っていたけれど、これはもう、私が我慢するレベルじゃないんだと。初めて親友に相談したら、親友のお母さんが家庭裁判所の調停員さんで、シェルターの存在と安全な逃げ方を教えてくれました。
──実際に逃げた時は、どのような状況だったのですか?
そらさん 警察へ行って「シェルターの手続きをお願いします」と伝えて、そのまま子どもたちとシェルターに逃げ込みました。持っていたのは現金2万円と、子どもたちのランドセルだけ。着替えもなくて、家も車も全部手放しました。でもね、家庭裁判所の調停員さんに言われたんです。「DVで逃げてきた人はみんな『これから人生どうしよう』って下を向いているのに、あなたみたいに明るくて元気な人は珍しい」って。だって、今まで本当にきつかったのが、今は自由なんですよ。好きなことができる。お金がないのは事実ですが、そこを見るよりも「自由なら何でもできるじゃん、仕事も好きにできるじゃん」って。マイナスを見るか、プラスを見るか──どこを見るかが全てだと思うんです。
──シェルターの存在を知らない方も多いですよね。
そらさん そうなんです。知らなかったら「安全に逃げられる」と思えないから、その方法を取れない。知識があるかないかだけで、「自分は大丈夫」と思える度合いが全然違うんです。離婚の時も、法テラスを使えば現金がなくても弁護士さんをつけられることを知って、調停離婚までたどり着けました。我慢しなくても、誰かに相談すれば解決できることって山ほどあるんです。DVじゃなくても、お姑さんのことでも、職場のことでも。それを知るだけで人生が変わるから、伝えていきたいんです。
──そこから、どのようにしてご自身のお店を持つまでに?
そらさん シェルターにいた頃、まだネットもあまりない時代だから、タウンページで不動産屋さんを調べて電話をかけて、シェルターにFAXで物件情報を3件送ってもらったんです。その中に、1階でおばあちゃんが床屋さんをされていて、2階のアパートが一部屋空いている物件があって。うちの実家も母が1階で美容室をやって上に住んでいたので、イメージがすごく近くて「ここがいいな」って。2階に住まわせてもらいながら、子どもたちと「いつか下でお店がやれたらいいね」って話していたんです。
──その言葉が、本当に叶ったのですね。
そらさん 1年半ほどで、おばあちゃんが亡くなられてしまって。息子さんが新しい大家さんになったんですけど、おばあちゃんが生前、私が逃げてきた事情を子さんに話してくださっていたんです。それで息子さんから「知り合いに使ってもらった方がいいから、よかったら使いませんか」と声をかけていただいて。敷金も礼金も、普通の店舗では考えられないくらいの安さで貸してくださって、「この金額なら私でもできる」って。
子どもたちと話していた通り、逃げてきてわずか2年でお店を持ててしまいました。しかも上の階のお風呂の配管から水漏れがあって、壁紙を大家さんの負担で全部、新品に直してもらえたんです(笑)。
──それはすごいですね!
そらさん 子どもたちが大きくなって手狭になった時も、駅から5分、駐車場付き5DKの一軒家を月8万5千円というありえない安さで借りられて。写真も載っていない築年数の古い物件だったのに、中は全部リフォームが入っていてオール電化で。
引っ越してすぐから「ここが自分たちのものになったらいいね」「長男が働き出して1年経ったら、ローンが通るかもね」って子どもたちと話していたんです。そうしたらちょうどコロナのタイミングで、大家さんの方から「買わないか」というお話が来て。長男が働き始めた時期ともぴったり重なって、土地代にもならないような金額で、本当に買えてしまったんです。


きものdeどれす®を連れて、パリコレへ
──着物ドレスはどういった経緯で参加されることになったのですか?
そらさん 2020年のコロナ禍が、本当にいいきっかけでした。オンラインでいろんな学びの場に入るようになって、Zoomで出会った方が「車いすの方がメインのパリコレをやる人がいるよ」と紹介してくれたんです。私、「きものdeどれす®なら、車いすの方も最初から座ったまま、最後まで着付けができるんです」とお伝えして。それでまず、ヘアメイクとしてパリ行きが決まりました。
──「きものdeどれす®」は、どのように生まれたのですか?
そらさん お客様の「自分の大切な着物を、ハサミを入れないでドレス風に着られないかしら」というご相談がきっかけです。着物に一切ハサミを入れず、着付けの技術だけでドレスにするんです。私はもともと着物と着付けが大好きなので、切りたくない。それに西洋の方が普通に着物を着ると、肩幅などの体格でバランスが崩れてしまうんですけど、ドレスにすると自然にしっくりくるんですよ。始めたのは10年ちょっと前。名前は、海外の方って平仮名がお好きなので、ロゴのように見えるよう平仮名にして、真ん中だけ「de」にした「きものdeどれす®」で、先に商標も取りました。
──パリでのお話も聞かせていただけますか?
そらさん 「私がパリに行くんだ」って言ったら、モデルさん、三味線奏者、日本食の料理人、動画やカメラマン──仲間が15人も、みんな自費で一緒に来てくれたんです。日本人が経営するパリのレストランで小さなショーをやって、エッフェル塔・凱旋門・ルーブルでゲリラ撮影をして。ルーブルで予定が押して、暗くて寒くなってきた時間帯に、たまたま通りかかったアメリカ人のご夫婦に声をかけられました。日本に留学されたことのあるご夫婦で、「自分たちはパリコレを主催しているんだけど、うちのショーに出ませんか?」って。半信半疑でいたら、なんと翌日、ベルサイユ宮殿でまたそのご夫婦にばったり会ったんです。向こうも「こんな偶然はないよ、必然だよ」って。それで帰国前日に、ハイアットで行われたそのご夫婦のショーで、ランウェイに出ることが決まりました。
──そこから世界へ広がっていくのですね。
そらさん そのご縁でニューヨークのショーにも呼んでいただいて。ちょうどカメラの大きなイベントもやっていて、仲良しのカメラマンさんが繋いでくれた会社の社長さんが「おいでよ」と招待してくれたんです。会場で「きものdeどれす®」を披露したら、カメラマンさんたちが撮りたがって、動けないくらいの人だかりができて。
それを見た社長さんが「こんなに人を集めるならすごい」って、今度はラスベガスのイベントに呼んでくれました。ニューヨークではリムジンに乗せてもらったり、『セックス・アンド・ザ・シティ』の舞台になったレストランに連れて行ってもらったり、おもてなしが半端なくて。実際に払った金額では絶対に味わえないような体験を、全部させてもらいました。
動けば、いろんなミラクルが起こるんです。
プライベートジェットの夢も叶える
──ほかにも夢が叶ったお話があれば、ぜひ聞かせてください。
そらさん ラスベガスに行く前に、コミュニティの先生に「ラスベガスに行ったら一攫千金だね」って言われて、「一攫千金したらプライベートジェットに乗る!」って話していたんです。言うのはタダですから(笑)。
そうしたら現地で、社長さんが観光案内をしてくれて、写真を撮っていた場所の隣りが飛行場で。「ここ、プライベートジェット乗り場だよ」って言うんですよ。「私、来る前にプライベートジェットに乗りたいって言ったんです!」って、フェンス越しに写真を撮って、「プライベートジェット見ちゃった。きっと乗れるのも早い」ってFacebookに投稿したんです。そうしたら15分もしないうちに、飛行機専門のカメラマンさんから「ラスベガスでプライベートジェットに乗りたいなら紹介してあげるよ」ってメッセージが来て──3日後には、本当に乗っていました。しかもタダで(笑)。

──それはすごいですね!
そらさん 実はその旅では、ハワイでのトランジットの時にお気に入りのGジャンを飛行機に置き忘れちゃったんです。でも落ち込まないで、「あんなにお気に入りだったGジャンを手放したんだから、きっといいことがある」って。そうしたらこのミラクルです。何かを失った時も、「どうしよう」と落ち込むか、「もっといいことが入ってくる」と捉えるか。捉え方ひとつで、立つアンテナが変わるんだと思います。
──それは素敵な考え方ですね。他にもミラクルなお話はありますか?
そらさん パリで、メンバーの一人がモンサンミッシェルへ行った時のことなのでが、途中の休憩で車を降りた場所に、パスポートも現金も入ったカバンを忘れてきちゃったんです。パリでカバンをなくしたら、普通はもうアウトじゃないですか。でもチャーターした車だったのでそこまで戻ってもらえて、行ってみたら──杭のところに、カバンがちゃんと引っ掛けてあったんです。誰も取らずに。しかも、帰り道にまた同じ場所に寄ったら、拾ってくれた現地の年配の女性が「ちゃんと届いたか心配で」って、偶然また来てくれていて。カバンをなくした子は英語がペラペラだったから、お互いに確認し合えて、再会を喜んだそうです。奇跡ですよね、その確率って。
──トラブルさえも、ミラクルに変わっていくのですね。
そらさん 昔は「小さなトラブルは大きなミラクルの前兆」という設定で動いていたんです。でもある時、それだとトラブル自体を引き寄せていることに気づいて。去年の7月にパリへ行った時、細かいトラブルが続いたので、設定を変えたんです。「ミラクルしか起きない」って。そうしたらその後のベトナムでも、2回目のパリでも、本当にミラクルしか起きなくなりました。設定って大事ですよ(笑)。

秘訣は「決める・言いまくる」
──夢を叶え続ける秘訣を、改めて教えていただけますか?
そらさん まず、「自分がどうしたいか」をちゃんと決めること。「プライベートジェットに乗りたい」「家が欲しい」って、具体的に決める。そこが何もなければ、何も来ないんです。次に、同じ出来事が起きた時に、マイナスを見るのかプラスを見るのか。どこを見るかで、引き寄せるものが変わってきます。
そして「言いまくる」ことですね。口で言えば一対一かもしれないけど、その先の人がまた伝えてくれるかもしれない。SNSなら何千人に一気に広がって、誰かがヒントや手助けやチャンスをくれる。私はお店でも、朝からカットのお客様が7、8人続いても、「今度こういうことをしたいんだよね」っていつも言っているから、お客様の方から「最近何かあった? 次は何したいの?」って聞いてくれるんです。
今まで全部叶ってきているから、「どうせ叶うもんね」ってお客様に言ってもらえて、「私は叶う人」ってどんどん脳に刷り込まれていく。もう、叶わないものはないと思っています。
ターコイズブルーのランドセル
──娘さんとの、青にまつわる素敵なお話があるそうですね。
そらさん うちの娘は小さい頃から青が大好きで、服も水色か青しか選ばなくて、ピンクを買ってくると「なんでこんなの買ってきたんだ」って泣くくらいだったんです(笑)。小学校に上がる時も「どうしても青のランドセルがいい」って。当時はまだ赤とピンクくらいしかない時代で、すごく探して、やっと見つけたのがターコイズブルーのランドセルでした。DVから逃げた時に持って出たのが、子どもたちのその青いランドセルだったんです。
昨年の11月に、娘の結婚式がありました。ところが私、当日の朝に体調を崩して救急車で運ばれてしまって、結婚式に出られなかったんです。「片親というだけでも肩身の狭い思いをさせてきたのに、結婚式にも行けなくてごめんね」ってLINEを送りました。娘は、お兄ちゃんと弟の母親代わりのような役目をしてくれて、仕事ばかりの私が父親代わり。本当に娘がいてくれたから全部が回っていたんです。「料理も勉強も水泳も、何でもやって、やれないことはないって、いつもやってきたよね。ありがとう」って送ったら、娘から返ってきたんです。「『やれないことはない』は、お母さんが私に言ってくれた言葉だよ」って。
──そらさんの言葉だったのですね。
そらさん 私自身は覚えていないんですけどね。小さい時に私にそう言われたから何でもチャレンジできたし、娘からは、やらせてくれるお母さんがいたから、今でも「やれないことはない」を軸に生きてるって言ってくれて。
それで結婚式では、お色直しのドレスが何色かを会場でクイズにしていたらしいんです。娘が選んでいたのは──あのランドセルと同じ、ターコイズブルーのドレスでした。「あの時、ランドセルだけを持って逃げた自分が、ここまで成長したんだよ」って、その姿を私に見せたかったんですって。
──胸がいっぱいになるお話です。
そらさん 子育ての軸は「やれば叶う」と伝えること、そして好きなことに巡り会ってほしいと思っていたので、やりたいということは何でもやらせてきました。娘は3歳の頃から先生になりたいと言い続けて、今は体育の先生。長男は野球が大好きで、実業団野球をやりながらJAに勤めています。一番下はものづくりやクリエイティブが大好きで、今はCMなどを作る映像制作会社にいます。みんなそれぞれ、好きなことをやれているので、親が好きなことをしている姿を見せることで、結果的に自分で好きなことをやれる人生になっていったのかなと思っています。

女性は誰もが一生プリンセス
──そらさんの今の活動を教えてください。
そらさん DVから逃げてきて、自分の仕事の軸は何かと考えた時にたどり着いたのが、「女性は誰もが一生プリンセス」という言葉です。「私なんて・・」「自分なんて・・」と自分を犠牲にしている女性たちに、美容の力でもっと自信を持ってもらいたい。ちょっと綺麗になるだけでも、自己肯定感って上がるじゃないですか。
「今日いつもより綺麗」と思うと、話す言葉に自信がつきます。美容師の技術で自信を届けることと、14年間、動けなかった私が、動いたらこうなったという実体験を伝えること。この二つを合わせて、伝え続けていきたいです。
───そらさんの笑顔は本当に素敵です。
そらさん 女性が笑顔だと、家庭の中で男性も幸せになれますよね。キラキラと笑顔があふれていると、それはどんどん広がっていく。家庭が平和だったら、世界平和につながっていくと思っているんです。
多くの人に伝えられる方法は何だろうなと考えたら、ディズニープリンセスだったんです(笑)。ディズニープリンセスの物語になれば、世界中にメッセージが届くから。きものdeどれす®で着物の文化を世界に広げながら、パリ、ミラノのランウェイを歩く──それをやりたいですね。美容室に来るお客様に話しても、「今まで叶ってるから、叶わないわけないよね」って言ってもらえます(笑)。
──発達障がいのあるお子さんのための活動もされていますね。
そらさん 「発達凸凹さんヘアカット」という、発達障がいのある方が安心して通える美容室を探せるポータルサイトを運営しています。国も「発達障害」を「発達凸凹さん」という言葉に変えようとしているんですよ。凸凹さんたちがカットできない、お母さんが苦労して寝ている間にそっと切っている、あるいは美容室に断られてしまった──そんな声をたくさん聞いてきました。
一対一で向き合う個人の美容室なら受け入れられるのに、知識がないから不安で踏み出せない美容師さんも多い。だから対応できる美容室を全国に増やして、ネットが苦手な個人店でも、サイトに載せるだけで問い合わせが入る仕組みを作っています。私自身もパニック症で電車に乗れない時期があったので、初めての場所が苦手な気持ちはよく分かるんです。そういう人たちのお役に立てたらと思っています。
──その活動も「青」に繋がっていますね。
そらさん そうなんです。世界自閉症啓発デーが4月2日にあるんですけど、シンボルカラーは青。「ウォームブルー」といって、世界中を青に染めましょうという活動なんです。
──そらさんにとって、青とはどんな色ですか?
そらさん 私にとっての青は、圧倒的に「空」が好きですね。私の名前が「そら」だし、お店の名前も「そら」で、娘との絆の色が「青」でもあります。髪を青にしたのは2020年、オンラインの時代になった時に、覚えてもらいやすいのは顔に一番近いところだと思って(笑)。もちろん、この青は空の青です。海派と空派の人がいると思うんですけど、私は圧倒的に空派。空が大好きで、落ち込んでも空を見る、雲を見るだけでも助けてもらえる。本当に空に助けてもらってきたんです。メールアドレスもみんな「sorakumo」なんですよ。
──そらさんは、美容室のお仕事も、これからずっと続けていかれますか?
そらさん サロンワークは本当に好きで天職ですね。120歳までは仕事をしていたいんですけど、美容師を収入のための「ライスワーク」にはしたくなくて。「趣味美容師」って、120歳まで言っていたいんです(笑)。ライフワークは、美容の技術と自分の体験を通して、『女性は誰もが一生プリンセス』をみんなに伝えていくこと。全部がそこに入ってるんです。
「私なんて・・」って思っている人がいない世界にしたい。誰も自分を押し殺さないで、みんな自分らしく、自分が主役の人生を歩んでほしいんです。私は14年間動けなかったけど、踏み出したら人生がこんなに変わりました。
「そらさんだから叶ったんだよ」じゃなくて、みんなに可能性がある。それを伝え続けていきます。
🔹🔹🔹🔹🔹
インタビューの間、そらさんが何度も口にされたのは「どこを見るかが全て」という言葉でした。
現金2万円とランドセルだけで始まった第二の人生を、「自由になれた」と笑うそらさん。その素敵な笑顔には、壮絶な過去を微塵も感じさせない、突き抜けた明るさがあります。
言葉にすれば、叶う。プラスを見れば、ミラクルが起きる。そらさんの生き方そのものが、「女性は誰もが一生プリンセス」というメッセージの、何よりの証明なのだと感じました。
ターコイズブルーのランドセルから、世界のランウェイへ──そら翔ぶ美容師の物語は、これからも空高く続いていきます。
素敵なお話をありがとうございました。

美容室 sora
そら翔ぶ美容師
渡辺 そらさん
神奈川県相模原市・上溝の美容室。
着物にハサミを入れず、着付けの技術だけでドレスへと変身させる
「きものdeどれす®」で、パリ・ニューヨーク・ミラノなど世界の舞台で
日本の着物文化を発信し続けている。
美容室 sora
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