Interview 第15回 土屋清夏さん

THE BLUE Spirits インタビュー第15回は、「Wave of Light 湘南」の活動をされている土屋清夏(さやか)さん。
神奈川県鎌倉市で生まれ、現在は藤沢市在住、湘南を拠点に様々な活動をされています。
今回は、国際的な啓発活動であるBaby Loss Awareness ピンク&ブルーリボン「Wave of Light 湘南」の活動を中心に、命の奇跡や、地元・湘南への熱い思い、そしてこれからの生き方まで、たっぷりとお話をお伺いしました。

Wave of Light 湘南
神奈川県湘南エリアを中心に、亡くなった赤ちゃんを想ってキャンドルを灯すWave Of Lightイベントを行う他、流産や死産などで赤ちゃんを亡くした家族の心のケアの必要性を伝える啓発活動、そのシンボルマークであるピンク&ブルーリボンの周知活動やチャリティーイベントを実施。

──清夏さんが関わられている「ピンク&ブルーリボン」では、どんな活動をされているのですか?

清夏さん 毎年10月9日〜15日の1週間は、流産や死産、新生児死等で赤ちゃんを亡くした家族のケアの必要性を伝えるための世界的な啓発週間なんです。
その最終日、15日の夜7時に、みんなが自分の赤ちゃんのことを想ってキャンドルを灯す。それをSNSにハッシュタグ #waveoflight とつけて投稿すると、時差で世界中に光の輪が広がって、それが『あなたは一人じゃないよ』というメッセージになる。そのイベントが Wave of Light なんです。

私は2023年から「Wave of Light 湘南」を立ち上げて、昨年は江ノ島の龍口寺というお寺さんで、LEDキャンドル2000個を使い、お空の赤ちゃんを想ってキャンドルを灯そう、というイベントを開催しました。光の天の川のようなイメージです。

そこに来てくださる当事者の方や、民間の支援する方たちに、赤ちゃんへのメッセージを紙に書いてもらい、筒に入れて灯篭にして並べて、お寺でご供養の法要を上げていただきます。

今年は、当事者の方が、赤ちゃんのことを話せる場所を作りたいなと思って、キャンドルイベントの後に、お話し会を企画しています。

ピンク&ブルーリボンが、世界共通のシンボルマークですが、色味は国ごとに若干違い、日本はイギリスの色をモチーフにしているそうです。Baby Loss Family Support‵ Angie′という団体が日本オリジナルのピンク&ブルーリボンを作り、その周知活動をしています。

「Wave of Light 湘南」2024年の様子

──清夏さんは、その活動は何年目になりますか?

清夏さん 今年で3年目です。自分が当事者になってもうすぐで6年です。
元々、茅ヶ崎でこの活動をしていた方がいらっしゃて、そこでお話をさせてもらううちに、これを地元でもやりたいなと思い、2023年から藤沢市で立ち上げてスタートしました。
江ノ島電鉄さんも協力してくださって、その期間は江の島の灯台がピンクとブルーにライトアップされるんです。

──清夏さんが、江ノ島の灯台にお話を持って行かれたのですか?

清夏さん そうです。以前、茅ヶ崎でイベントをやった帰りに、江の島の灯台を見て、あれがピンクとブルーになったらいいのになぁと思ったんです。
だから自分が藤沢で立ち上げた時に、江の島の灯台も、いつかピンクとブルーにしたい、と言い出したら、なぜかトントントンって話が繋がって、ご快諾いただきました。

──それはすごいですね!

清夏さん その時、藤沢市の議会の中で、流産・死産の家族のケアについて何かやっていますか?という質問もしていただき、そんなタイミングもありました。

だから、この活動をやろう!って決めた途端に、いろんなことがワ〜っと勝手に動き出した感じで、自分が何か頑張って動いたというよりも、やるぞ!と決めたら、亡くなった赤ちゃんが、私の体を使って遊んでいるみたいな感じ。もう止めようと思っても止まらないぐらい、次々と動きが出てきてしまう。そういうのをここ数年、実感しているところです。

ピンクとブルーにライトアップされた江ノ島の灯台

──動かされている感じなのですね。

清夏さん そうなんです。自分がすごい頑張ってやっているというよりも、何かに引っ張られて、動かされている。
それこそ、共感してくれる世の中の空気感や、時代の流れ、それを求めていたような人がたくさんいらっしゃって、力になってくれたり。求められていたタイミングだったのかなとも思います。

昔だったら、流産、死産は伏せておいた方がいいような、あまり触れてほしくない事だったようですが、今は亡くなった命も、そこにあった一つの確かな命として扱ってあげましょうと、国もそういう方針で動いてくれているので、この活動が全国に広がるといいなと思っています。

ピンク&ブルーリボンが日本に入ってきてから、まだ7年ですが、実際に各地で開催されるようになっていて、東京都庁もピンクとブルーにライトアップしたり、熊本城や京都府庁なども、啓発活動に協力してやってくださっているそうなので、広がっている実感はありますね。

──清夏さんが実際にそういう体験(死産)をされた時は、まだそこまでの活動はなかったですか?

清夏さん 私は運が良かったと思うのですが、私が死産を経験した湘南鎌倉総合病院が、とても流産・死産に対するケアが行き届いている病院だったんです。
というのも、私が死産する14〜15年くらい前に、死産した方がいて、その当時の助産師さんと、その当事者の方が、どうやったらケアできるか、どういうケアがいいのか、などを研究して、マニュアルを作り、ママたちのケアを続けてきた病院だったんです。

私の時も、亡くなった赤ちゃんのことを、生きている赤ちゃんと同じように扱ってくれて、手形や足形をとりましょうか、とか、沐浴させてくれたり、おしっこも出ないのにおむつも替えさせてくれて、抱っこしたり、一緒に写真を撮ったり。退院する時には小さな家族アルバムを作ってプレゼントしてくれて。すごく手厚いサポートをしてくれたんですね。
退院してからも、クリスマスなどのイベントで、気持ちが落ちてしまう人が多いそうなので、それを心配して「どうしてますか?」と電話をかけてくれたり。
検診で病院へ行っても、赤ちゃんが目に触れないようなルートを選んでくれたり、本当に配慮が行き届いていたんです。

私も生きている赤ちゃんと同じように扱っていいんだと思えたから、家に連れて帰った時も、ずっと抱っこしたり一緒に寝たりして過ごせて、それこそ火葬場に行く直前まで抱っこできて、やれることはさせてもらえたなぁっていうのがあったんです。

だから、私はすごい回復が早かったと思います。お話会などに参加するようになってから、ほかの病院では、そういうケアが全然なかったり、流産なんてよくあることだからと軽く言われてしまうこともあるらしくて。
ママは、お腹の赤ちゃんが亡くなってしまったら、そのあとどうしたらいいのか、そういうアドバイスもなく、病院を出されてしまったり。そうするとママは自分自身を責めてしまうことが多くて、こわくて家族ともあまり話ができない。

そんな気持ちが、どんどんどんどん積もってしまって、家から出られなくなってしまう。そういう方もまだまだいっぱいいるんだなということを知ったんです。
だから、あなた一人じゃないよ、同じような想いを抱えている人たちがいるよ。だから安心して自分の思いを話してね。そんな場所を作りたくて。

こういったら否定されるんじゃないか、また自分が傷ついてしまうのではないか、そういう心配もなく、安心できる場所で、「大切な赤ちゃんの話を聞かせてくれて、ありがとう」。そういうふうに受け取ってもらえると、私もすごく嬉しいから。

ふとした時に、うちの子が生きていたら、あのくらいだなぁとか、やっぱりつい思ってしまうので、そういうことも話せたらいいなと思っています。

その当時も、お腹が大きくなっていたから、ぺちゃんこになって、上の娘の保育園のお迎えに行った時に、「あ!生まれたの?」と聞かれて、実は死産だったんです、という話をすると、「ごめん、変なこと聞いちゃって」と言われて、別に変なことじゃないけどなぁって思うことがあって。

でも、もし自分が逆の立場だったら何て言えばわからないかもしれないな、とも思うので、いろいろなところでお話しする機会をいただいた時には、こういう風に言ってくれると嬉しいとか、そういう話をさせてもらったりしています。

──清夏さんは、どういう風に言ってもらえると嬉しいですか?

清夏さん 「そうなんだね」って聞いてもらえるのが嬉しいし、「それはつらかったね」とか、「また赤ちゃんの話聞かせてね」と言ってもらえるのは、話してよかったなと思えます。ただただ聞いてもらえるだけでいいんです。

逆に、乗り越えられる試練しか神様は与えないから、とか、次はきっと大丈夫!、とか言われるのは、あまり嬉しくなくて。よかれと思って言った言葉が傷つけてしまうこともあります。
私は死産だったので、「名前は?」とか聞いてもらえると、それを話せたりするのも嬉しいですね。

それこそ流産だと、ママしか知らない、ということもあるので、そのケアをどういう風にしていけるかは、まだまだ考えなくてはいけないですね。
流産にしても、やっぱり待望の赤ちゃんだったかもしれないので、いろいろなシチュエーションがあると思うんです。
あとは、人工的に、親がいろんな事情の選択として、赤ちゃんを亡くさざるを得なかった人もいるので、そういう人たちは、また違う心の痛みを持っています。

私はそういうケアを丁寧にできたらいいなと思っているし、カウンセラーさんに話を聞いてもらうだけでもすごい楽になったりします。

誰もが安心して話せる社会になるといいなと思います。そのきっかけとしてキャンドルイベントがあるし、少しずつですが、この活動が広がっているのもありがたいと思っています。

命は奇跡そのもの 

──そういう体験をされている人たちにもっと届くといいですね。

清夏さん そうですね。女性が4〜5人集まると、実は私も・・という人が意外といたり、男性が集まるビジネス交流会で話をさせていただいても、うちもそうだったんです、とか、うちのお母さんがそうだったんです、とか、そういう話は必ず出るので。とても身近にはあるお話だと思います。

私は、第一子の娘は今も元気に生きていて、その子が生まれて、ちょうど2年後の同じ誕生日に、死産になったんですね。もう臨月に入って、あとはもう産むだけ。だから私も、まさかそんなことが世の中にあるとは思っていなかったから。赤ちゃんは産めば必ず生まれるものだと思っていたので。
だから、ショックというか・・、最初は何を言ってるのか意味がわからなくて。何を言ってるんだろう?って。。

死産とはいえ、普通に出産をするので、陣痛がきて、その時に、胎盤が出血多量で、私も意識不明になって、自分の命も危なかったんです。大きな病院だったので、輸血をしてもらって、私は生き返ったんですね。
自分は生き返ったけど、赤ちゃんは死んじゃったんだ・・・と思って。

最初は、赤ちゃんを触っていいの?みたいなところから、病院のサポートで、赤ちゃんを抱っこしてみる?とか、産後の体の反応で母乳が出るので、おっぱいもあげていいんだよって。
そうしていると、だんだん赤ちゃんに対する愛着がすごい湧くようになっちゃったところで、火葬とかになるので。。つらいんですけどね。。
それでも、病院の丁寧な対応には今も感謝しています。

家に帰ってから、いろいろ調べるんですよ。「死産 理由」とか「死産 原因」とか検索して。
病院では、何か原因があるわけではないと言われたけれど、どうしても自分では、あれがいけなかったのかな、これがいけなかったのかなとか、思っちゃうところもあるんですよね。

ショック状態から、気持ちが立ち直るまでに時間がかかるし、もう大丈夫だよねと思っても、またずどーんって落ちてしまう時もあるし。そういうことの繰り返しで、少しずつ回復に向かっていきました。
今ではこうして毎日楽しく暮らしているし、昔よりも赤ちゃんのことをすごい愛おしく感じています。

私は不妊治療をしていたこともあったので、命を授かることは奇跡だと思ってたんですね。
生きている命は、とんでもない奇跡のかたまりで、妊娠することも奇跡、生まれることも奇跡で、この年まで病気や交通事故で死ぬこともなく、戦争に巻き込まれることもなく、ご飯を食べて大きくなって、こうして生きてこれたことは、めちゃくちゃ奇跡の連続なんだな、と思ったら、そういうことをみんなが意識して生きてくれたら、みんなもっともっと自分の人生を大事に生きられるなぁと思って。だから、そんな活動をしているところです。

──すごく素敵ですね。

清夏さん 私の性格がもともとすごいネアカというか、あまりくよくよするタイプではなかったから、そうなのかなと思うところもあります。人によってはその死を受け止められなくて、ずっと家から出られない人もいますしね。

──そんなネアカの清夏さんを育てられたお母さんは、どんな方だったのですか?

清夏さん お母さんは、ザ・主婦ですね。子どものこと、家族のことが、生きがいというか、それが大事という人でした。今も私のことを応援してくれるし、私の自己肯定感の高さは、親からの愛情がすごいあったと思います。
それこそ無償の愛、何があってもここは帰れる場所で、何があっても私を守ってくれる場所だということが、やっぱり心強いものがありましたね。それなりに反抗期もいろいろありましたけど(笑)。今でも両親は健在でいてくれるのもありがたいなと思っています。

高校時代の友達も、みんなが一人一人をリスペクトして尊重し合う人たちだったから、いじめとかもなかった。
昔から、そういう人たちと一緒にいられて「さやかはこういうところがいいとこだよ」と言って接してくれる。
そんな友達が今でも支えだし、そういう仲間たちがいたからこそ、今生きてるなと思っています。

──死産の時、旦那さまはどういう感じでしたか?

清夏さん 実はパパたちも同じくらい傷ついてはいるけれど、やっぱり自分がしっかりしなきゃと思うみたいで、その悲しみをちゃんと消化できないままでいる人も多いだろうなと思います。

うちは、夫婦で「このことを話せるのは私たちだけだから、何か思い出した時は、お互い遠慮せず話そうね、その時は聞こうね」って約束をしています。

パパが病院にお見舞いに来てくれた時も、待合室で一人で座っていたら、助産師さんが話しかけてくれて、パパも大変ですよね、パパのことは全然ケアしてあげられなくてすみません、と言ってくれたり。

ピンク&ブルーリボンのキャンドルイベントの時に、ボランティアで手伝ってくれる人が20人以上いるのですが、けっこう男性の方も多くて。

ママは、お話会とかに行って、ちょっとずつ自分のことを話せたりするけれど、男の人はなかなか話す機会もないので、こういうイベントでキャンドルを並べながら、うちはこういうので死産だったんですとか、手を動かしながらだと、話ができたりするんですよね。ママばかりにフォーカスがいってしまうけれど、パパも抱えている想いがあるので。

医療従事者の方、出産を見ている現場の看護師さん、助産師さんたちも、目の当たりにして、すごく傷ついてる方も多いです。
助産師さんとお話しした時に、何度やっても、エコー(心音)を確認するのは怖いです、とおっしゃっていて。大丈夫と思っていても、やはりかなりの頻度であることなので、今でも怖いです、と言ってる方もいて、その時、何もしてあげられなかったから、という理由で、イベントに手伝いに来てくれている人もいます。現場で立ち合う方たちも、すごい心を痛めているし、心を寄せてくれているのは実感します。

健康福祉課の方などは、最初にこのお話の講演をお願いに行った時、反対だという方もいたんです。
そういったことを声高にやっていくと、それには触れたくないという方もいると思うし、行政側として推進していくことが不安だという意見もあったようなんです。
でも実際にキャンドルのイベントに来てくださって、「こういうのも必要だなと思いました」と言ってくださって。気持ちが動いて、変わってくれて、今では協力的に一緒に取り組んでいけるような関係になってきています。

やっぱり傷つけちゃいけないという思いがあると、関わりづらいと思われてしまうのかもしれないけれど、そんなふうに大切に思ってくれている気持ちがすごくありがたいし、そういう人たちの優しい気持ちがいっぱい広がるといいなと思っています。

──1人で抱え込まずに、少しでも話せるところがあればいいですよね。

清夏さん そうですね。私がしてもらったようなケアが広がればいいなと思って。
ピンク&ブルーリボンの活動も、悲しみの方に目が行きがちで、確かに悲しいことだし、つらいことではあるけれど、それと向き合うこと、命のことを考えることで、自分や、今ここにある命、これからの未来、子どもたちのことなどに繋がっていけばいいなと思っています。

自分の命が、奇跡的に今生きていることは、なんてラッキーなんだろうって。みんながそう思える世界に繋がればいいなって。

──本当にそうですね。

清夏さん 悲しみは、悲しみ切ったらいいと思うし、何年経っても泣いてもいいと思うんです。でもそれで自分のことを責めたりするのではなく、私自身は、自分が自分の人生をちゃんとここで生きてから、会いにいくね、っていつも思っています。

湘南の街で、一人ひとりが自立しつつ、根っこでは繋がっている

──清夏さんが今、自分の人生を生きる、と思った時に、今後やっていきたいことは何かありますか?

清夏さん やりたいことがたくさんあり過ぎて(笑)。
この湘南が大好きなので、最後までここで生きて、最後の最後の瞬間に、あぁ〜楽しい人生だった!と思って死にたいですね。

ピンピンコロリが一番と思っているので、健康に元気に年老いていくためにはどうしたらいいか、食べ物を気をつけたり、発酵食品を取り入れたり、体に取り入れるものは気をつけています。

健康も一番変えなくてはいけないのは、一人一人の意識。
湘南に住む人たちの健康意識とか、社会や地域を自分たちが作っているんだ、というような意識を高めていきたいので、そういう活動を始めたところなんです。

──どんな活動ですか?

清夏さん まだ始めたばかりなので、活動という活動はしてないんですけど。でもここ数ヶ月で仲間が20数人集まってくれています。

──もうそんなに仲間が集まっているんですね!

清夏さん これもさっき言ったように、やるぞ!って決めて、発したものなら、また何か操られてるんですよ(笑)
私の想いに共感してくれる人たちがどんどん集まって、この人連れてきたよ、こんな人も連れてきたよ、あの人のところに行ってみて!とご紹介いただいて、どんどん進んでますね。

まだ仮版なんですけど、

『私たちが住む街を、もっと自分たちで考えて、勉強して、学んで、一人ひとりがしっかり自立して立って、だけど根っこでは繋がってるよ、っていう街を作りたい』

そんなコンセプトで始めたところなんです。

日本を変える、とかいうと大きいですけど、せめて自分の手の届く範囲の人たち、湘南は守りたい。
100年後もこんな楽しい幸せな世界が続くように、今できることをやらないと、少子化まっしぐらなので。
子どもの自殺がこんなに増えている時代はおかしいから、それをなくしたい。いろんな想いが詰まり過ぎてるし、やりたいこともいっぱいあります。

私も40歳を過ぎて、これからの人生は、今までもらったものを社会にお返ししていくことだと思うので、自分ができることであれば、やっていきたいと思っています。

政治、ビジネス、福祉も、障害を持つ方もそうじゃない方も、一緒に暮らすのが当たり前の社会になってほしい。教育が変わらないと、人の気持ちや、考え方、今の社会の構造が変わらないから、教育を変えていきたいとも思っているし、すごいいろんなことが気になり出しているので、それをみんなで一緒に考えて、活動していこうと思っています。

──清夏さんのその原動力は何でしょうね?

清夏さん 子どもが亡くなったこともあるし、大切な友達も、昨年ちょうどこの時期に亡くなったんです。同い年で突然に。それで、人はやっぱ死ぬんだなって。今更ですけど、そう思って。
だからこそ、じゃあもう明日死んでも悔いがないように生きたいなっていうのがあって。もうあと何日残ってるんだろう、私の人生。

死ぬのがもう怖くはない。赤ちゃんが亡くなった時にたくさん本を読んだのですが、その中で「亡くなった赤ちゃんは自分の使命を全うしたから、空に返っていったんだよ」というのを読んで。

あんなに出血したのに、私は死ななかった。赤ちゃんは私を連れてかなかった。そうか、私はまだ使命を果たせてないんだな。この世でやらなきゃいけないことが残ってるから、まだ死ねないんだなと思ったら、なんかもうがむしゃらに動くようになると、逆に何かに動かされてる感じがする。空に返って行っちゃった人たちが、空から私を動かしてるようなイメージがあって。
原動力といったら、早く死にたい(笑)。ピンピンコロリと早く逝きたいんだけなんだよね。

──今まで生きてきて、人生の転機や出来事、ここで人生変わったな、ということはありますか?

清夏さん やっぱり赤ちゃんを亡くした時ですね。なんかパラレルワールドというか、それまで当然に生きてきた世界から、赤ちゃんが死んで、自分が生き延びた、という、何か別の世界に飛んできて、その世界がスタートしたっていう感覚がありますね。

子どもが生まれて当然来ると思っていた明日が、そうではない明日になってしまった。
4人で暮らすはずだったのに、いない・・・っていうところから始まり、当たり前のことが、当たり前じゃないんだなって。


あとは、高校で出会った友達が人生の一番の宝物。今、一緒に活動している仲間も、その頃からの仲間が多いから。みんなで湘南という街を守っていきたいですね。

清夏さん、素敵なお話をありがとうございました。

「wave of light 湘南」主宰
土屋 清夏さん


Wave of Light 湘南
 instagram】
https://www.instagram.com/waveoflight_shonan/

2025年10月9日(木)、10日(金)
江の島シーキャンドルライトアップ

【土屋 清夏さん instagram】
https://www.instagram.com/sayaka_tsuchiya_office38/

【Standup湘南!】
https://www.instagram.com/standupshonan/

元気な長女と36週2日二女の天使ママ。
シンガーソングライター・俳優
行政書士(遺言・相続)
ビジネス交流会、イベント企画運営。
BabyLoss啓発活動や、エンタメ活動を通して命の奇跡を伝えるために活動中。