
THE BLUE Spirits インタビュー第12回は、一般社団法人ツーリズムみはま・マーケティングマネージャー 辻本安芸さん、LUMBERJACK・クリエイティブディレクター 西村司さん。
おふたりはイギリスの芸術大学で知り合い、4年半ほど前から御浜町での地域振興に携わることになり、御浜町のwebサイト『青を編む』の運営を中心に、地域のブランディングに力を注いでいます。御浜町を「青という色」ではなく、「青を概念」として捉えて表現されているおふたりに、御浜町の青の魅力をたっぷりとお伺いしました。

──おふたりが御浜町に関わる前は、どんなことをされていましたか?
辻本さん 私は千葉県出身で、ロンドン芸術大学で4年間写真の勉強をした後、東京で10年ほどマーケティング畑で働いていました。
2020年3月に御浜町を訪れ、縁もゆかりもなかったのですが、最終的には仕事も決まり、ご縁を感じて移住しました。御浜町の地域振興のお仕事に携わらせていただいています。
『青を編む』
https://mihama-mie-townpromotion.jp
私は編集長としてこのサイトを運営しながら、SNS、主にXの運用をして、御浜町を知らない方とのつながりを作っています。
全体のコンセプトや、クリエイティブの方向性は西村が決めて、主に動画でのアプローチを彼が担っています。
西村さん 僕もロンドン芸術大学へ行き、写真学科でコンセプチュアルアートを学んだのですが、日本に帰ってきてからは、映像や写真、広告の仕事を15年ほどやってきて、ひょんなきっかけから御浜町に移住してきました。もともとはバルセロナに移住しようと計画していて、コロナになったことでそれが白紙になったんです。僕は大阪で生まれ育ち、東京、ロンドン、ニューヨークなど都会にしか住んだことがなかったので、田舎に暮らしてみたいと思っていて、移住に関しては、海の近くに住んでみたいという思いがここに来る一番大きな決定打になりました。
御浜町に来た時、本当に海がきれいだったり、山がきれいだったり、青に惹かれたというのもありますが、僕らは御浜町に来るまで、そんなに「青」を意識したことがなかったんです。
──御浜町の町をブランディングする際に、最初から「青」というのがコンセプトとしてあったのでしょうか?
西村さん 町から依頼されて、御浜町の外部向けタウンプロモーションサイトを0から作り上げる時に、概念から考えていったんです。いわゆるコンセプチュアル・アプローチという、海外でよく使われるアプローチの仕方なのですが、そういうブランディングをしようと。
そこから『青を編む』というサイトを構築していくわけですが、みなさん、海の青から『青を編む』になったと思われるんですけど、実はそうではなくて。
御浜町で採れる特産品のみかんが「青」いんです。超極早生(ちょうごくわせ)温州みかんという、9月に採れる珍しいみかんで、このみかんのことを地域のみなさんは「青切り(あおぎり)みかん」と、おっしゃるんですよ。

西村さん 青切りみかんは、全国でもトップクラスに早い9月中旬頃に出荷され、見た目ほど酸っぱくなく、しっかり甘くておいしいんです。
9月といえば、まだ残暑で暑かったりするので、ちょっと酸っぱさも残る爽やかな味なので、食べやすいんですね。その青いみかんに、御浜町に来て初めて出会って。
御浜町の海はもちろん青くて美しいのですが、海水浴場はないので、海をコンテンツとして使うのは難しい。もちろん海の青というのは、このあたりの象徴的な色ではありますが、みかん、柑橘栽培がこの町の基幹産業であり、9月に採れる青いみかんが町の一番の特産品であったということもあって「みかんの青」から入ったんです。
地元の皆さんは、緑色なんだけれども、このみかんのことを「青切りみかん」とおっしゃっていて。
もともと信号が緑色なのに青と呼んだり、山が緑なのに青と言ったり、このみかんも緑なんだけど、青と言ってる。そこに気づいて。
町のアイデンティティは何かと考えた時に、もちろん海というのはありますが、「青いみかん」がこの町のアイデンティティになるんですね。そこから「青」の発想が出ました。
──青切りみかんは、日本全国に流通されているのでしょうか?
辻本さん 全国には出荷されていないんです。量がすごく少ないので。中京圏のスーパーをはじめ、関西の百貨店でも販売されています。ちょっと高級なものを扱うようなところですね。東京も一部の百貨店では扱っているところがあるかもしれません。
大阪だと阪急などの百貨店で取り扱いがありますが、いかんせん量が少ないので、なかなか中京圏から出ていくようなことができないので、このみかん産業をもっと盛り上げたい、という目的もあるんですね。
西村さん 地方創生でここで生きていくためには、何で勝負するか、と考えた時に、一つは御浜という海、いわゆるインバウンドだったり、観光産業がありますが、もともとあるこの青いみかんというのは切り離せない。人口減少も含めて、みかん産業は盛り上げていきたい。
9月上旬に出荷できるみかんは、全国でもほとんどないんです。
こんなに青いのに、中身はこれだけ甘くておいしい。それだけのクオリティのみかんがこの時期には他になくて。この品種が、この土地に合っていて、この土地でしか作れないものなんですね。
みかんの生産量を増やして東京に出荷できると、知名度は一気に上がります。今は量が少ないので、どうしても中京圏内だけにしか出せないですが、町がこれから生き残るためには、生産量を増やすというのが大切なんです。
青いみかんもですが、山もそうですよね。どう見ても緑なんですけど、青という表現を使っていたりする。その概念が「青」。
概念のアプローチになぜいったかというと、御浜町がある熊野という地域、熊野古道のある場所は聖地熊野、神仏習合の地とも呼ばれています。三重県には伊勢神宮があり、熊野には熊野三山(本宮大社、那智大社、速玉大社)があります。神道との結びつきが非常に強かったこの地域で神道と仏教の概念が合わさって、日本人独特の宗教観が生まれたとも言われています。
日本人の宗教観は、初詣に神社に行って、お寺に行って、家には神棚があって、仏壇がある。
つまり、ブディストなのかシントニストなのかちょっとわからないようなところがあって。
海外の人と比べると明確じゃない宗教観というのがあるんですよね。
熊野古道は、そんな日本独特の神仏習合の精神世界を体感できる道と言われていて、その中で僕が導き出した、これは僕のリサーチの中での答えなんですけど、この緑のものを青というのは、神仏習合によって確立された概念ではないだろうかと。侘び寂びといった概念がそうかなと思っていて、最終的にそのアプローチを考えた時に、青の概念を使うというのは、熊野らしさ、御浜町らしさであったり、日本人が持っている概念や宗教観を表現するのに一番いいと思ったんです。

あとは、熊野という場所が、いわゆる東征の地、神武天皇が東征するときに上がってきた浜だったり、昔からある古事記や日本書紀に出てくる場所なので。
伊勢神宮や、熊野三山、熊野古道がある神道の中心地なので、スピリチュアル・セントラルだと思っています。そうするとやはり日本人が昔から引き継いできた概念というのはすごい重要で、その神道や仏教から派生したのが、この概念である「青」じゃないかと。
熊野古道は、世界遺産にもなっているので、歴史やストーリー、青が持つコンテクスト(文脈・背景)を楽しんでもらえたら、そこを歩くときの一歩が全然違うと思います。
インバウンド向けにいうと、青というのは、英語の場合「Japan Blue」と呼んでいますが、僕が制作したこの映像の英語タイトルは「Searching for Japan Blue」。日本の青を探して。
外国人向けには、御浜町を「日本の青を体験できる場所」ですよ、という表現をしています。
青でインバウンド向けにブランディングしているところは、他にはないんじゃないかと思います。

「青ノ詩を詠う
– Searching for Japan Blue」三重県御浜町
【映像はこちら】
──とても素敵な映像ですね。そこにストーリーがありますね。
西村さん 先ほども少しお話ししましたが、青自体を掘り下げると非常に面白い。
諸説ありますが、「日本の青」の成り立ちを紐解くと、奈良、平安時代に、色を表現する言葉が、黒い、白い、赤い、青いという4つしか存在していなかったため、
当時は、緑は「青」に分類され、今よりも広義なものになったと言われています。緑色に見える物を「青」と呼ぶ習慣は万葉集の時代より前からあったと言われてまして、緑という概念が登場したのは、鎌倉時代(1,100年)頃だと言われています。
そこで興味深いのが、「緑」という色が現れた今も、なぜ、奈良・平安時代の「緑」も「青」も「青い」と表現する名残が時を超えて私たちの中に脈々と受け継がれているのだろうかということです。
「日本の青(Japan Blue)」と言うと、真っ先に思い浮かぶのは、ギリシャ人ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も書き残したように、多くの外国人が日本人の日常の中でよく目にした、藍染の「青」かもしれません。古くから日本人は「青」を色としても好み、葛飾北斎や歌川広重を代表する浮世絵師の作品の中でも、「青」が好んで使われていました。しかし、わたしたちの「日本の青」はそれよりも、もっと深く、複雑で概念的なものだと思います。
僕自身は、「日本の青」は、色の概念を飛び越えて日本人の独特の美意識を表現する手段などになったのではないかと考えています。
例えば、本来、「青いみかん」は熟す前の緑のみかんのことを表現していますよね。御浜町の超極早生温州みかんは、青くても「甘熟」している。ギャップがあるから商品としてインパクトがあるんですね。
「青春」とか「青年」という言葉もありますし、少し未熟な事象・物事を「青」で表現することも多いですよね。
「山が青い」という表現も、春に山が鮮やかな緑色の新緑に包まれるので「青い」と表現する一面もあると思いますが、四季を人生と重ね合わせると、春は鮮やかに輝く青春時代。そこから、夏に青年のような色に落ち着つき、そうして、秋。 紅葉などは、赤や黄色に色づき、人生の絶頂期のように見える。その後に冬が訪れ、葉が枯れて、儚く散っていく。老いと死のように。
日本人はその山の姿に自らの人生を重ね合わせているのではと考えています。いわゆる、「侘び寂び」、「もののあわれ」の概念・美意識ですね。
このように、青は単純に色を表現する手段だけではなくなったので、「概念」として現代にも受け継がれているのではないかと思っています。つまりは、日本人のアイデンティティのひとつだと思っています。
青ノ詩を詠う「Searching for Japan Blue」の映像のストーリーは、聖地熊野と呼ばれる御浜町でそんな概念である「日本の青」を旅してみる。そうすることで、自分について、日本人、日本について深く触れることができるということを描いています。
海や山の青はもちろんのこと、特産品の青いみかん。そして、御浜町には阿田和大敷という定置網の網元があり、いわゆる、青物、青魚と呼ばれるブリやカツオもこの地域の特産品の一つなんです。
本当に多種多様な青が御浜町にはあります。海の青も毎日のように変化しますし。
だから、Webサイトで使用している「青を編む」という言葉の編むというのは、物理的に編み物を編むという意味はありますが、もうひとつ「舟を編む」という映画があったように、辞書を編纂する、言葉や意味を集めてまとめるという意味もあるんですよね
──編集という意味合いですよね。
西村さん そうです。「青を編む」という言葉には、御浜町で編んだ素晴らしい「青」を外の人にも知って欲しい、触れて欲しい、楽しんで欲しいという意味を込めています。そして、願わくば、御浜町を訪れた人にも、自分自身でこの多種多様な御浜町の青を編むことを楽しんでもらえればと思っています。
青を編むのホームページでは、いろいろな要素が詰まっていて、観光に来てほしかったり、移住してもらいたかったり、みかん農家になってもらいたかったり。その3つが達成しないといけない。
観光ではいろんな青を感じてもらう。一方で移住や就農に関しては、青いみかんだったり、青のある町での田舎暮らしを楽しんでほしいという想いがあります。

「青ノ詩を詠う」映像シリーズ
「青ノ詩を詠う」というシリーズでは、御浜町の魅力を青の切り口でご紹介されています。この市木木綿(いちぎもめん)の映像もそのひとつ。
青ノ詩を詠う – Pass the Baton –
「市木木綿」唯一の職人の挑戦
https://youtu.be/NEPYp1PBU2E
西村さん 市木木綿は、下市木という御浜町の地区で代々受け継がれてきた産業で、今では職人さんがたった一人になってしまって。しかも、今までお借りしていた工場を出ていかないといけないという話になり、工場を移転するための費用が必要になり、クラウドファンディングのご相談を受けたんです。

そこで「青ノ詩を詠う」映像のシリーズで、市木木綿を取り上げました。
さらにアイデアとして、市木木綿で「御浜ブルー」という縞(しま)を作ってもらったんです。名前は僕が付けたんですけど、縞自体は職人さんと相談しました。
なぜ御浜ブルーを作ったかというと、市木木綿のことを地元でも知らない人が多かったんです。
クラウドファンディングするにあたって、もちろん買ってもらうことも大事ですが、この市木木綿という産業が後世に伝わるように、できる限り御浜町の人たちに、これは自分たちのものなんだよ、元々あったアイデンティティのひとつなんだよっていうメッセージを伝えたいと思いました。
御浜ブルーという、自分の町の名前がついたものがあったら、もっと愛してもらえるかなと思って。
──この縦縞が特徴なんですか?
辻本さん そうです。この縦縞が特徴ですね。昔はチェックとかもあったみたいですけど、今はもう縦縞しかできないそうです。横糸の色を変えて、海のような明るいブルーを入れてほしいとお願いをして、作っていただいたんです。
──御浜ブルーを新たに提案されたんですね。
西村さん クラウドファンディングをするにあたって、後継者がいないということもありましたが、御浜町の人が、市木木綿のことを知らなかったことにちょっと驚いて。
市木というのは、地域の名前なんですけど、市木で生まれた木綿なので「市木木綿」なんですね。
今、私たちが住んでいる地区の名前なので、余計に熱が入って(笑)。
市木木綿のプロジェクトで、一番大事なことは、売ることもそうですが、「守ること」なんですね。
誰が守るかといいますと、地元の人たちなんです。地元の人にどれだけ愛してもらえるか。その存在を知らなかったら、後継ぎにもならないなので。
では地元の人に知ってもらうために、どうしたらいいかと考えたときに、町の名前をつけたら、もっと愛してもらえるんじゃないか。そう考えました。
町の名前と御浜の海の色を表現したら、地元の人も贈り物にできると思ったんです。御浜ブルーのことも説明できるし、それが付加価値につながる。さらにお土産としても買っていただけるので。
僕はそういうことが大事だと思ってます。それがコンテクストなんです。

──市木木綿が後世に続いていくといいですね。
西村さん そうですね。なぜこれをやったかというと、この綺麗な青い陶器があるんですけど、これはもともと御浜町で作っていた「御浜窯(みはまやき)」という焼き物なんです。
焼き物としては、そんなに有名ではなかったですが、海のようなきれいな青や、淡いブルーが特徴的で。

これが10年ぐらい前に、廃業してなくなってしまったんです。
地域創生も含めて一つ言えることは、文化がなくなると人が出ていくと言われています。
この一つの文化がなくなってしまったというのは、僕の中でけっこう大きいことだと思っています。
なので、余計にこの市木木綿をなくしてはいけないという想いもあり、いろいろとお手伝いさせていただいています。一番の目標としては次の継いでくれる人が一人でも出てきてくれたらいいですし、市木木綿の新しい工場を起点にした観光のツアーなどもやったりして、いろいろな方に来ていただきたいですね。

西村さん 僕らは、町一つをいかにブランディングするか、にトライしていて。
御浜町があり、隣に熊野市があるのですが、田舎は人が減ってきているので、学校が統合されることになったんです。その中で新しい学校の名前を考えてほしいと公募があり、僕も知人から依頼を受けて、これに応募することになりました。
そこで僕が考えたのが「三重県立熊野青藍高等学校」という名前です。最終的に生徒たちが2000人ぐらい投票した中で、660人がこの名前を選んでくれたんです。2位の学校名にも蒼という名前が入っていて。
やっぱり子どもたちも、自分の町や地域に「青」という意識があると実感しました。
アイデンティティじゃないですけど、この地域を「青」でブランディングしていることが、あながち間違っていなかったのではないかと。それが確認できた出来事でもありました。
今、人口減少、農家も減っている中で、それでもみかん産業や、自分たちの海を、山を、住んでいる町を、いかに素晴らしいものだと思ってもらえるか、好きになってもらえるかという、インナープロモーションが肝になると思っています。

──今の少子化や、地方の過疎化、伝統がなくなってしまう危機感、そういったいろいろなものを含んでいる中で、町をブランディングされていますが、その中心にあるのが「青という概念」というのがとても興味深いなと思ってお話を聞かせていただいています。しかもおふたりが地元の方じゃないというのもおもしろいなと思って。
西村さん そうですね。青ノ詩を詠うシリーズの映像では、意図的にドローンを使っています。
外向けでもありますが、町の人に見てほしいという想いがあります。つまり日常にはない視点、上から見た時に、自分の町がいかに美しいか、というのを感じてもらえたらと。
本来であれば、外に外にとアプローチをすると思うんです。商品を売ったりするのであれば、それでもいいと思いますが、地方創生という観点からすると、地域の人たちがいかに自信を持って生きるか、がすごく重要です。
今まで、自分たちの町を素晴らしいものだという意識があまりなかった。だから伝統産業などもなくなっていってしまったんですよね。
僕らは、みかんの新規就農促進もお手伝いさせていただいていますが、この青いみかんがやはりこの町の宝なので、日本ではここでしか作れませんよ、という商品としての価値であったり、素晴らしいものがあるということを、しっかりと地元の人に理解してもらうことが大切だなと思っています。
──4年ぐらい活動されてきて、そのブランディングが浸透してきたな、といったような手応えのようなものはありますか?
西村さん それでいうと、日本国際観光映像祭で賞をもらったんですね。そこではあえて「観客賞」を狙いにいきました。なぜかというと、その映像は、御浜町の人たちに向けた映像だったんです。
普通、観光映像というのは、アウター向けなんですが、僕はあえてインナー向けに作りました。まずは町の人たちに、御浜町の「青」を知ってほしい、楽しんでほしい、そう願って。
観客賞をなぜ狙ったかというと、サイトで一番閲覧された作品が観客賞をもらえるので、みなさんぜひ見てください!って町の人にも言えるし、実際にみなさん見てくださったんですよ。
そうすると、地元の人を巻き込めるし、知ってもらう機会になる。地元の人が地元の人を巻き込んで、拡散してもらったんです。そういうところで、御浜の青を浸透させようと。
結果としては、青というよりどちらかというと、包括的に自分たちの町がこんなきれいだったんだ、って思ってもらえたみたいです。
辻本さん ここはみかんの町なので、普通はオレンジ色のイメージがあると思うのですが、SNSで「御浜町とは何色をイメージしますか?」と聞くと、みなさん「青」と答えられて、その理由が、みかんの青だし、海も青いし、と答えてくれる人がけっこういらっしゃるんです。なので、オレンジよりも青を認識してくれている方が、意外に多いという実感はありますね。
それは海が青いだけではなく、みかんが青い、というのがあるからこそ、御浜の青が際立つんだと思います。

──今後、おふたりが活動を通じて叶えたい世界はありますか?
西村さん 世界を変えたいと思っていますね。
──どんなふうに?
西村さん 世界を変えるために、まずは自分自身が見えている世界を変えることが重要だと思っています。
それは、自分自身のアイデンティティを知ることなんです。自分自身が何者かを知ること。
自分はなぜ目の前の物事・事象をこう見ているかを考えてみること。自分が日本人だからか、とか。
それが目の前に広がる世界を変えることに繋がると思っています。見え方が変わると世界が変わる。
そういうことに気づいてほしいというのがあるし、地方創生のキーになるんじゃないかなと僕は思っているんです。
自分が持つアイデンティティ、御浜町のアイデンティティを知る。青いみかんもそうですし、みかんを青いと表現する自分自身について考えてみる。物理的なものも精神的なものも含めて。
今までと違った視点で物事を見つめ直すことで、自分たちの魅力、自分たちの町の魅力、自分自身の魅力を再発見することができるかもしれない。そうして、それが地域を変えるとか、世界を本当に変えることにつながっていくと思っています。
概念を変えるというのは、なかなか難しいですけど、アイデンティティに気づいたり、概念を通してアイデンティティを感じてもらう。
だって、青いみかんを見て、普通に食べられると思うことだけでも、僕にはすごい不思議で、でもここの地域で育った人たちにとっては、別に不思議でも何でもない。そこに気づいてほしいというのが、まず第一歩かなと思っています。
自分が変わらないと、世界も変わらない。一人ひとりが変わっていくと、世界がちょっとずつ変わっていくように。
言っていることはすごく大きいですけど、やることはそんなに大きいことではないんです。
熊野古道へ

西村さん 風が葉っぱを揺らし、葉っぱの間を風が通ると、そこが「青く染まる」と言う。それが「風も青い」という表現になりました。
この地域では「風伝おろし」という現象があって、風が強い地区なので、御浜町の山の向こうにできた雲海を作る霧が風にのって、山と山の間から流れ出てくる幻想的な風景が見れたりします。

御浜町の海は、冬がきれいですよ。寒いんですけど、その分、空気が澄んで、真冬の海は晴れたらめちゃくちゃきれいな青になります。
春夏秋冬、いろいろな青があるので、ぜひ御浜の青を探しに来てほしいですね。
素敵なお話をありがとうございました!

一般社団法人ツーリズムみはま
マーケティングマネージャー
辻本安芸さん
LUMBERJACK
クリエイティブディレクター
西村司さん
『青を編む』
三重県 御浜町
https://mihama-mie-townpromotion.jp/
御浜町とは
〜日本の青を編む〜
太平洋の海の「青」と、紀伊山地の山の「青」が出会う町、聖地熊野、三重県御浜町。
里山、尾呂志(おろし)の山間には、風の通り道、風伝峠。
朝霧「風伝おろし」と親しまれる霧が風に乗り、その道をぬける姿は神秘的で、霧に熊野の山の「青」が反射して、風が青く染まる。そうして、その風は、里山を下り、青々と実る稲穂や青いみかんの隙間を駆けぬけて、さらに青く染まる。
やがて、山の「青」は海に届き、海の「青」と一つになる。
御浜は青い、海が青い、山が青い、空が青い、風が青い、みかんも青い。
御浜の青は、青と呼ばれる「青」と、青と呼ばれる「緑」で、できている。


