Interview 第14回 大須賀祐さん

THE BLUE Spirits インタビュー第14回は、輸入の神様と称される大須賀祐さん。思わず目を惹く青い装いが印象的な大須賀さんは、ベストセラー作家であり、国内外で講演されるスピーカーであり、輸入ビジネスのコンサルティングでは、日本と世界を繋ぐ貿易商を育てるお仕事をされています。
そんな大須賀さんが、輸入ビジネスに関わるようになった経緯から、大好きな「青」のお話、そして“今この瞬間を生きる”という生き方のお話まで、たっぷりとお伺いしました。

──大須賀さんが最初に海外へ行かれたのはいつでしたか?

大須賀さん 18歳の時、香港に行ったのが最初の海外でした。それから、19歳の時にハワイに行ったのが2回目の海外ですね。ですが、自分自身でもっとも鮮烈な記憶として刻まれているのは、22歳の時に行ったヨーロッパです。
私は大学4年生の当時、大学側の強い要望(笑)によって、大学に5年行くことになってしまいました。その失意のうちに、ヨーロッパを40日間放浪したんです。
卒業もできないのに、卒業旅行なんて行っている場合じゃないだろ!なんて周りからは揶揄されたものです。
さらには、5年生になると周りの批判の声をよそに、アメリカに40日間行きました。結果的には、これが、私の人生を決定づける事になったのです。もちろん、その時点では、それに気づくことはなかったわけですが…。
ギリシャからイギリスに渡り、その後ポルトガル、そこから陸路でスペインのアンダルシアに入りました。
アンダルシアに入った時に、「あれ?この景色、みたことあるな」と思ったのです。不思議な感覚でしたね。何か懐かしいような、来たことがあるような。その瞬間、私は昔、スペイン人だったに違いないって勝手に思いまして(笑)。
その時、私は「ああ、ここにまた戻ってくるかもしれないな」と思ったんです。
そこで思い描いた通り、私は数年後に輸入ビジネスの世界に入り、予感の通りスペイン・アンダルシアに戻ったのです。

──なぜ輸入ビジネスをやるようになったのでしょう?

大須賀さん 運命を感じたアンダルシアでの事です。喉が渇いたので、水を買おうと思って近くの雑貨屋に入りました。売り場を見ているとあることに気づいたのです。そこでは水が100円で売られていたのですが、ふとその隣を見たら、なんとワインが80円だったんです。驚きましたね。
当時、日本ではワインは高級な飲み物というイメージで売られていたため、その高級品のワインが1本80円で買えるの?と驚愕しました。今でこそ安いワインも一般的になっていますが、当時はイタリアンやフレンチレストランなどに行かないと飲めなかったのです。そのイメージと値段のギャップで物の価値について考えさせられました。
肝心の水ですが、当時の私にとって100円の水は高く感じられたので、そこでは買わずにもっと安い水をさがして他のお店を見て回ったのです。そしたら、あることに気づいたのです。
同じブランドの水なのに、最初のところは100円、その次のところは120円、次のところは70円、その次のところは90円と値段がバラバラだったんです。昭和の時代、その当時の日本ですと同じブランドのものはスーパーでもコンビニでも同じ値段で販売されていました。今のように小売店でのディスカウントが一般的ではなかったんですね。なぜスペインでは店ごとに値段が違うんだろう?と思ったわけです。比較した結果、当然一番安い70円のところで買ったわけですが、最初に行ったお店、おばあちゃんが一人で店番していたところを思い出したのです。
あのおばあちゃんは、よそでは70円や80円で売られているのを知らないんじゃないかなと思ってね。教えてあげなくちゃと思ったんですよ(笑)そのお店に戻って、そのことを伝えたら、おばあさんは、こう言ったのです「知ってるよ、それが何か問題なの?」と。さらに「ここには、高く売っていても買いに来る人がいて、その人たちのために商売をやっているんだ」と。それを聞いて衝撃を受けましたね。その時に、同じものを違う値段で売っていいんだと。
お客がいればしかも高く売ってもいいんだと気づいたのが始まりでしたね。日本はいいものをとにかく安く売る、安さが正義だ、といった価値観で、それが美徳とされていました。今でもそうかもしれませんね。
しかも日本ではメーカーが値段を決めていて一律で同じ価格で提供されていたので、店ごとに違う値段で売っていることに衝撃を受けたんですよね。それが原体験になりました。
そのあと、大学を卒業し、就職したのですが、私が入社したメーカーもやはり値段を決めていて、小売店に販売する値段も決まっているわけです。しかし、当時の私は、スペインでの体験からメーカーが末端の小売価格を決めているということが、違うということに気づいてしまっていました。
海外では自分の思いや情熱、サービス、客層、そういうものをひっくるめ、価格が自分で決められて、自由に販売できる。自分もそういう世界で仕事がしたいと思ったのです。
だから26歳の時に会社を辞めて、自分で輸入ビジネスをやろうと決めました。

──ご自身で輸入を始めよういうのがスタートだったんですね。

大須賀さん 貿易は個人でできるのですが、当時としては珍しかったのです。
一番初めは、会社を辞めてすぐに、東京の晴海で開催されている国際見本市へ行きました。そこで選んだのがイギリスの商品とブラジルの商品。これをセミナーではネタとしてよく話してるのですが、まったく売れなくて(笑)。
数々の失敗など紆余曲折あり、始めてから9年目にやっとその後のメインとなるスペインの会社と取引が始まり、ちゃんとした輸入業の形ができました。

──輸入ビジネスの面白さはどんなところでしょう?

大須賀さん 輸入ビジネスは最高ですよ。なぜかというと、旅することが仕事になる。会社の経費として計上した上で、海外旅行に行けるわけです。それで商品を探して、販売して、喜んでもらう。最高の仕事です。

そもそも「移動距離はその人の成長にも正比例する」ので、輸入に取り組むといろいろな国へ行って、いろいろなものを見て、新しいものを見つけて、そしてさまざまな体験ができます。仕事を通して、人間の幅が広くなりますね。
面白い人間になれますし、知識も豊富になり、人として成長できますし、何より決断力がつきます。
良いことばかりで、最高の仕事だなと思ってます。

──海外で商品を見つける目利きみたいなもの必要ですか? 海外で素敵なもの見つけたり、これがヒットするんじゃないか、といった先を見通す感性は必要なのでしょうか?

大須賀さん それはもちろんあるに越したことはありません。基本的に我々はヨーロッパへ買い付けに行くのですが、ヨーロッパは日本に比べたら文化的に未来なんです。デザインがよかったり、機能面で拡充されていたりとよく見る商品含め、いろんなものがありますが基本的には日本に取引相手がいない未来の商品を持ってくることになるわけですね。つまり、今まで日本にないものなんです。
ないものの必要性を感じてもらい、需要を自分で喚起し、新たに作っていく。その能力の方が、より重要だと思いますね。

──そういう考え方なんですね。

大須賀さん 我々の仕事というのは、自分で需要を作って、自分でブームを作っていくという感覚が近いかもしれません。ものすごくクリエイティブでおもしろいですね。

──そうすると、商品を見つけて、それを日本にどう展開していくか、という戦略も必要ですよね。

大須賀さん もちろんです。すべての仕事において難しいのは、自分の商品とサービスを求めている人を抽出すること。これが一番難しいですね。
まず顧客を生み出す際に、需要を見るのと、どういう人が必要としているかを判断できるよう、日本の展示会に出展することをオススメしています。

──世界で見つけた商品を日本の展示会で出品すると、そこで反応を見れますしね。

大須賀さん 我々が言う輸入ビジネスというのはいわゆるBtoB取引を指します。そのBtoBの輸入ビジネスを始めると、世界が変わります。
例えば、一般の人たちにとって銀座三越という存在は、買い物に行くところというイメージですよね。ところがこの仕事に取り組むと銀座三越がビジネスの相手、つまり顧客になるのです。この発想の転換、立場の転換が起きるのがまた面白いですね。

私も、最初に出展した展示会でスペインのポプリの入ったテーブルランプを展示していました。そこに、三越のバイヤーが来て「この商品をぜひうちで取り扱いたい」と言われたのです。その時の感動は、今でも忘れられません。
三越やハンズ、ロフトなど、上場企業や超有名企業が取引先になるので、夢のような仕事だなと思っています。

──素敵なお仕事ですね。逆に大変なことはありましたか?

大須賀さん 毎日が夢のようであんまりそう思ったことはありませんがあえていうなら資金繰りですね。売り上げが上がるにしたがって仕入れの代金が増え、どうしてもお金が先に出ていってしまうので。

──輸入をもうやめようと思ったことなどはありますか?

大須賀さん それは一度もないですね。楽しいという思いの方が大変よりも強かったですからね。
景気循環の中で、お得意先の倒産によって代金回収不能になったりとか、流行による需要の変化とかの影響を受けるなどはありましたが、それ以上に面白さ、ワクワクが多かったのです。
ヒット商品が出た時の感動は何とも言えませんね。ある商品が30万個のヒットになったりしたものです。

──貿易商から、アドバイザーになっていくのは、何かきっかけがあったのですか?

大須賀さん 2004年に、JETRO認定アドバイザーになりました。そこから、国や行政からいろいろと要請されて講演するようになったり、貿易の相談役になったりして、貿易のことを教えるようになっていったのです。
もちろん自分は自分として貿易商を続けながら、です。その状況でクライアントから海外の展示会に連れて行って欲しいというニーズが生まれ、一緒に行くようになりました。

──なるほど。ニーズからそういうことに繋がっていったんですね。

大須賀さん 一緒に行くのも最初は楽しかったんですよ。けれども、だんだんだんだんつらくなってきました。
午前中は私もクライアントも別々に自分の商品を探すわけですね。その当時は私も、輸入ビジネスマンですからね。
そして午後からは、クライアントが見つけた商品を一緒に見に行って、私が交渉するわけです。その商品を見ると「え!?こんないい商品があったの?」となるわけです。自分が見落とした商品をクライアントさんが見つけたりして。その商品を私もやりたい、とか思ったりしてしまうようになっていくわけです。

──自分がやりたくなっちゃうということですね。

大須賀さん でもその時は、アドバイザーに徹するしかありませんから言えないわけですよ。そんな感じで2004年から5年間は、実業家とアドバイザーの両方をやっていました。
ですが、そうしているうちにクライアントで、1年もたたず売上が10倍になる人とかが出てくるわけです。

そうなるとなぜ私は、ライバルをわざわざ作ることをしているんだと、疑問に思ってくるわけです。そういう風に嫉妬を覚えるようになって、葛藤が出てきてしまいました。そんなことを考えているうちにだんだん辛くなってきてしまって。
これはもうどちらかを辞めるしかない、このままじゃいられない、と思うようになりました。それで2009年の時に、自分は実業をやめて、後進を育てる方に専念しようと思ったわけです。

──その決断には勇気がいりましたか?

大須賀さん 決めるまで5年かかりました。結局、選んだ最後の決め手は、貿易商と、貿易アドバイザーのどっちが格好いいだろう?ところでした。そして、どう考えても、貿易アドバイザーの方がかっこいいなと(笑)。
あとは45歳で病気を経験して、その時から自分の好きなように生きようと決めたのも大きかったかもしれません。
自分が「こうあるべきだ」とか「こうであらねばならない」ではなくて、自分が心からしたいことをしようと。
それなら、たとえ失敗したってあきらめがつくじゃないか、と思えたのです。判断基準をそういうものに変えていたので、どっちが格好いいか、どっちが面白いか、どっちが好きか、という点で決めました。

転機となった45歳の時、死を意識した出来事

──その病気をされた時は、人生の転機だったと思うのですが、その時のお話を聞かせていただけますか。

大須賀さん 45歳のある朝、起きた瞬間に激痛が走り救急車で病院に運ばれたんです。ところが、救急室に行って、いろいろな科のお医者さんが次々に来て診てもらったんですが、最終的には「ちょっと様子を見ましょう」となるわけです。
でも、こちらはいやいや、様子を見てる場合じゃない。こんなに痛いんだから、何とかして欲しい、してくれと。
あの時初めてわかったのですが、医者が「様子を見る」というのは、自分では症状や処置が分からない、どうしようもない、ということを意味してるんですね。でも、自分としては、とにかく痛いから、様子を見てる場合じゃない(笑)。結局8人くらいの医者に診てもらっても、どうにもならなくて。
その間、私は激痛で、のたうち回っていて。その時、自分はもう死ぬんだな、と覚悟したわけです。もうダメなんだなと。もう死ぬんだと覚悟して、そう思った瞬間に、今までのいろいろなことが思い出されて、いろんな後悔が出てきたんです。自分自身の傲慢さや生意気さ。自分はなんてひどい男だったんだろう。
傷つけてしまった人がたくさんいて、ひどいことを言ってしまったし、ひどいことをしてしまったと後悔することがたくさん出てきました。それを考えたらものすごく申し訳なくなって。
しかし、神はいるものです。病院搬送から28時間、2日間休んでいたお医者さんが出勤してきたんです。その医者あちこち触ったりした後、こう言い放ったのです。
「正確には、検査の結果を待ちますが、多分これだと思いますので、とりあえず痛みをとる処置をします」と。


奇跡は起きました。
そこで病名が特定され、私は、九死に一生を得ることになるのです。

──その人に助けられたのですね。

大須賀さん その人に命を救ってもらって、もう言葉にならなくて。そしてその時に誓ったんです。これからは、自分の好きなことを、好きなように、好きなだけやろう、と。
人には優しくして、人を傷つけたりしないようにしよう。そして、まず傷つけてしまった人にお詫びをしようと。
これから会う人には一期一会の気持ちでいつが最後になるか分からないから、その人と会うのは今日が最後だと思い、その人に対して何ができるのか、それだけを考えて、人と会おうと思いました。


それは45歳の時からずっと、今も同じ思いで生きています。

──ブルーのお話聞きたいんですけれども、いつからそんなにブルーになったのですか?ブルーはもともとお好きだったのでしょうか?

大須賀さん ブルーは昔から好きだったのですが、小さい頃に好きな色はブルーと言ったら、友達から平凡だなと言われたんですよ。それで、ブルーというのは平凡なんだと思いまして。そこからブルーが好きだと言うのをやめてしまったんです。
ですが、海外へ行く時に、思い浮かぶ「色」というのが「青」だったのです。まず飛行機に乗ったら真っ青な海が見えますよね。そして、青い空と白い雲、まさに「青」が世界旅行にふさわしい色だなと。
私のコンサルティングのメインは、海外の展示会に一緒に行って、そこで交渉の仕方というものを教えるというものです。つまり、貿易商をやめても海外には引き続き行くわけです。
だから会社のコーポレートカラーを青にして、名刺なども青にしました。そこから青になっていきましたね。
ある時、ヨーロッパへ行ったら、今日着ているような真っ青のブルーのジャケットが売っていて。日本でこんなブルーは見たことがないなと思って、それを買ったんです。ブルーのジャケットに合う、真っ青なジーンズも買って。
それをセミナーなどで着るようになったら、みんなびっくりして、それはどこで買ったんですか?と言われるようになりました。
青い服装が話題になるので、この青をアイキャッチにして、自分のシンボルにしていこうと思ったのです。
もともと青は好きだったから、そこから意図的にブルーを買うようになって、ブルーといえば大須賀祐®となっていきました。

──ご自宅のワードローブは青がけっこうありますか?

大須賀さん いっぱいある(笑)着なくなってしまったものも含めていっぱいあります。
だから、セミナーやプロモーションの時にも、紺の硬いスーツではなく、青いジャケットに白いジーンズのような服装でやるようになったら、そういう爽やかな雰囲気のスタイルが憧れられるようになったんです。こんな風に自由に楽しそうにしていいんだ、そんな風になりたい、という人が増えてきたのを見て、これが大須賀祐®のスタイルだと確信を持ちましたね。

──海外で見た青い風景で、印象に残っている場所はありますか?

大須賀さん やっぱり青の洞窟ですね。もう3~4回は行ったかな。次回は、飛び込んでやろう!って思っています(笑)。それからモロッコのシャウエンには行ってみたいですね。家も壁も青で。そういう青い町が世界に3つくらいあるそうです。

──今まで行った海外で一番お好きな国はどちらになりますか?

大須賀さん 仕事という観点からすると、ドイツ、フランス、イタリアですね。大きい展示会があるので。
食事が美味しい国だと、スペイン、フランス、イタリアになりますし、居心地のいい国となると、クロアチアとかですかね。バカンスだったら南イタリアのシチリアとかも好きですね。

でも、日本はパスポート所持率が17%と少ない。先進国中最下位なんです。日本のパスポートは、国連加盟196カ国中、191ケ国にノービザで入れる最強のパスポートなんです。最強のパスポート持っている日本人が、最も海外に出ないのでは、もったいないでしょう。

国によっては入国審査前に係員の人に「どこから来たのですか?」と聞かれて、「日本から」と答えると特段、質問もされず、すぐ通れるように案内されるんです。国際的な信用がものすごくある国なんですよ。
だからもっともっと、海外に行って、いろんな体験をしてほしいですね。

──海外へ行くと日本の良さが分かるとよく言われますが、大須賀さんから見て、日本の良さはどんなところにあると思いますか?

大須賀さん 日本の良さはいっぱいあります。人的サービスは、ぶっちぎりの世界一ですね。まさにおもてなしの精神だと思います。そのひとときを楽しんでもらいたい、一期一会という、その時間を大事にしたい、そういう気持ちが日本ではどんな商売でもある気がします。
海外ですと単なるサービス、という感覚ですけどね。敬語という言語もそうだし、おもてなしに関しては文句なしに世界一。安全面でもほぼ世界一、そして知的レベルがものすごく高い。世界トップクラスだと思いますね。しかも時間的に正確、何事もピッタリ始まりますしね。海外の人と待ち合わせすると30分や1時間遅れるのは当たり前。場合によっては次の日になってしまうこともありますね。
あとは、食事の美味しさ。これもほぼ世界一。何を食べてもうまい。東京にいれば世界中の料理が食べられますね。こんな国は他にないですね。

──大須賀さんがTEDに出ようと思ったきっかけはあったのですか?

大須賀さん TEDは、スティーブ・ジョブズや、ビル・ゲイツも出ていますね。私は彼らと同じくらいの年齢なんです。学年でいうと、ジョブズは1つ上だけど、ビルゲイツは同い年。
だから彼らがやっぱり目標で、私もこういうところで話せれば、彼らと同じところに行けると思って。そういう憧れからですね。

──青い着物も印象的でしたよね。

大須賀さん TEDでは、絶対に青い着物で出演すると決めていました。
最初から着物でやろうと思っていて、青い着物を探したらなかったので、わざわざ染めてもらったんです。

──TEDで海外へ発信されて、現時点で32万回という再生回数ですが、海外からの反応はいかがでしたか?

大須賀さん 外国人からオファーをもらうようになりましたね。国際連合のユネスコの組織でいろんな専門家が推挙されるインクルーシブラボというのがあるのですが、世界でも2000人しかいない、そこのエキスパートとして登録されたりしましたね。あとは、TEDへの再出演依頼がありました。
TEDに出演すると動画になり、アップされますよね。後世まで残るのでこういう人がいたんだなというのを子孫に残したい、とは思っています。

https://www.youtube.com/watch?v=XZbf-CarOlU

自分が思うように生きること

──大須賀さんが大切にしている価値観はなんですか?

大須賀さん それは自分自身が思うように生きることです。死ぬ時に後悔したくないですから。自分の好きなように、思うように、自分にとって素晴らしい生き方をしたい。
この地球上には、現在83億人いるわけですが、同じ空間を共有できるのは、一生の中で3万人くらいしかいないといわれています。その3万人のうち、何らかの会話、一言でも交わす人は3,000人といわれていて。
まず3万人で考えると、これは27万人に1人。同じ時代に生きる人と27万人に1人しか出会えない。
そして、言葉を交わす3000人で考えると、270万人に1人なんです。それはもうほとんど奇跡だと思いませんか。

──まさに、大須賀さんと出逢えたのも奇跡ですね。

大須賀さん 私と沙羅さんの場合は、もっとすごいんですよ。自分の人生で、300人の中に入っているということは、2,700万人に1人の関係なんです。だから、そういう奇跡で出会えた人のためにならないようなことができますか? できませんよね。
仕事でも、同じだと思います。
これが最後の取引になるかもしれない。そう思ったら今、自分ができる最高のものを提供していく、ということを今一番に考えています。

──それが大須賀さんの大切にしている価値観や生き方なのですね。

大須賀さん そうです。自分のために生きることと、こうして出会う、絶対的に縁のある人。その人に対して自分のできることを精一杯する、これが最後だと思って、日々生きていく。

仲の良い友達は30人くらいでしょう。30人というのは、2億7,000万人に1人。そして、いわゆる親友は多くても3人くらい。これはもう27億分の1人。本当に奇跡なんだよね。

だから、そういう意味合いで、逆に偶然2回会ったら、その人との縁を感じて、何らかのプラスの関係をつくろうと思うのです。待ち合わせして会うとかは、もちろんあるけれど、約束もしていないのに、2回会うのは、何かしらのご縁があるって事じゃないですか。そうした人とは必ず会えば話をするし、それだけでも十分すぎるほどの縁と関係性があるということですからね。

──大須賀さんが、今後こういうことをしていきたいという夢や、こんな未来を作っていきたいといった、未来に対しての想いは何かありますか?

大須賀さん 未来や、夢に関していうと、ないんです。なぜかというと、夢は叶いそうもない未来のことを指すことが多いですよね。
自分はもうそんなに時間がないから、遠くの話よりも「今日、何ができるのか」それを前倒してどうやって、やってやっていくのか、と常に考えています。夢があるなら、今すぐやろうと。
だから、極論すれば毎日が夢ですね。今日も夢ですし。そう思って生きています。
今思うことは全部やりたい。したいと思うときに、したいことをしよう。そういう人生でありたいですね。

ただ願いはあります。
それは、貿易を通して少しでも世界平和に貢献したいと思っているのです。
もちろん、戦争というのは、紛争を解決するための最終手段としてあるわけで、それぞれに正義があってやっているのはわかります。ただ、自分たちの正義を通すために周りに迷惑をかけているということ、広範囲に渡って被害を受けている人がいることだけは厳然とした事実ですよね。
だから一番問題なのは「私は正しい、あなたは間違っている」。こう善悪論で喧嘩をするから戦争が起きてしまうんです。

あなたも正しい、私も正しい。あなたの宗教も認める、我々のも理解してほしい。立場は違うけれども、お互いに信じるものを信じていけばいいじゃないかと。そういう共存共栄していくことが大事だと思っていますね。
それをやるためには、自分は貿易が必要だと思っています。お互いの国益を考えると、交易をしていればその国とは戦争にはなりません。だから貿易をもっともっと推進し、国と国とが「あなたなしではいられない」という関係になることによって、結果的には周りの人々も、そういうものから受ける被害が少なくなるんじゃないかと思っています。

──最後に、今一番興味のあることは何ですか?注目していることなどあれば、教えていただけますか?

大須賀さん 今の私の最大の関心事は、いかに今の溌剌としたエネルギーで、一年でも長く過ごすことができるかということです。

今はみんな、コスパ(コストパフォーマンス)や、タイパ(タイムパフォーマンス)など言っていますが、私にとっては「ヘルパ」(ヘルスパフォーマンス)なんだよね。

自分にとって、この状態を保つ上で何が必要なのか、それは常に探しているし、普段の生活でも心がけています。いつまでも元気で活動したい。

そのためには今、我慢するのではなく、より良いものを摂ること。身体が元気じゃないと、何もやる気が出ないですよね。結局、すべての源(みなもと)は、朝起きた時の活力だと思うんです。
そのためには、食べるものも気をつけないといけないし、自分の行動も気をつけないといけない。だから今、自分にとって最も興味があって重要なのが、健康であること。身体が健康じゃないと、心が弱気になったり、やる気がなくなったりするからね。

──大須賀さんにとって、成功の秘訣はなんでしょうか?

大須賀さん 自分の成功の秘訣は、「ツイていた」ってことだと思います。今までもいろいろなピンチがあって、もうだめだなと思うようなことは、数え切れないくらいありました。いろんな意味で、ですね。

だけれども、そう思った時に、最後の最後に、白馬に乗った王子様が来て、ふっとすくい上げてくれるんですよ(笑)。それを信じることですね。その代わり、一つ条件があって、そのためには常に努力をしなければいけないんです。常に自分でも何とかしなければならないと考えていて、自分で考え得るすべての努力はした上で、もがいていると、使者が来るんです。

それからね、すべての経験はネタになるという考え方ですね。海外での経験や体験、教訓を得たことや、生み出された知恵だったり、私の講演会での話は、ほとんどが自分が経験したことがベースになっています。その経験こそがネタになるんです。だから失敗したり、失敗しかかった時に、最初に思うことは「お!ネタ来てるぞ!」って思うんですよね。終わったあとは、これをどうやっておもしろい話にするかを考えます。
みんな、周りの目が気になったり、人と比べたり、あの人はなんで私がこんなに愛しているのに、愛してくれないんだろうとか、なんで私はこんなに尽くしてるのに、返してくれないんだろうとか、人はついそう思ってしまいがちだよね。でも私はそもそも相手に過度な期待をしてはいけないと思うんです。
パールズという人がいった「ゲシュタルトの祈り」という言葉があって、これがわかると人生がものすごく楽になるんです。

「ゲシュタルトの祈り」
私は私のために生きる。
あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、

この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
フレデリック・パールズ

もともとこれは、人に何かを言われて落ち込んでいる人に対して、こういう言葉を投げかけてね、あなたはあなたで、人は人だから、人の価値観で自分が落ち込むことはないんだよ、人の価値観で生きなくていいんだよ、という言葉だったんですね。
そこから学ぶことは、人はみんな相手に過度に期待しすぎているということなんです。こんなことをやったからこれを返してもらって当たり前だとか、これをやったんだからやってもらうのが当たり前、そんなふうに。
でも、それを思うこと自体が間違いだと思うんです。だって、そもそもは好意でやっているわけでしょう。好意でしたのであれば、そこで終わりにして完結しないと。それを返してもらおうと思うなら、それは交換条件のように取引にしないといけなくなってしまいますね。

人は明日どうなるかわかりません。今この瞬間だけがすべてなんです。私にとっても沙羅さんと会うのが、今日で終わりかもしれない。今日が終わりの日だとすれば、今日が最後ならば、何を伝えたいのか、何を伝えなければならないのか?ご縁があった人に何を言うべきなのか。
もし、本当に今日が最後だったらと考えると私は生まれ変わっても再度、大須賀祐になりたいと常に思えるそんな生き方でありたいと思っているんです。

読んでくださったあなたにありったけの愛と感謝をこめて!

素敵なお話をありがとうございました!

株式会社インポートプレナー
大須賀祐®さん


【IMPORTPRENEURS】

https://importpreneurs.jp/

輸入ビジネスに特化した日本一の輸入ビジネスアドバイザー
著述家、講演家
一般社団法人 日本輸入ビジネス機構 理事長
日本貿易学会正会員
ジェトロ認定貿易アドバイザー(現AIBA認定貿易アドバイザー)
株式会社インポートプレナー最高顧問

早稲田大学商学部卒
東証一部上場企業入社後、3年目で最優秀営業員賞受賞
国内ビジネスに失望し、会社を退社。その後、輸入にその身を投じる。

2004年2月当時わずか合格率8.4%の狭き門、現役で日本国内に500名にも満たない超難関貿易資格「ジェトロ認定貿易アドバイザー」を取得。全国で486人目の貿易アドバイザーとして、日本貿易振興機構(JETRO)より認定を受ける。

2009年には、千葉県労働商工部主催・OVTA財団法人海外職業訓練協会「海外ビジネス科」貿易実務講師として、その貿易商としての28年のキャリアが評価され166時間という膨大な時間の講座を依頼された。この講座では、千葉県が離職者を対象とした再就職訓練事業として実施する。

さらに、翌年は177時間に拡大した同講座の依頼を受け実施。
2004年から現在まで、東京商工会議所、りそな銀行、名古屋銀行国際証券部、福岡アジアビジネス支援委員会、財団法人仙台市産業振興事業団、横浜ベンチャーポート、大阪市経済局、福岡貿易会、福島県商工労働部、会津若松市商工会議所、郡山自由大学、静岡県立焼津水産高等学校、社団法人倫理研究所仙台中央倫理法人会、社団法人岩手県経営者協会、社団法人倫理研究所 会津若松市倫理法人会、ジェトロ認定貿易アドバイザー協議会北日本支部、日本貿易振興機構(ジェトロ)福島貿易情報センター、東京インターナショナルギフトショー(株式会社ビジネスガイド社)等、多数の公的機関や企業より講師として依頼を受ける。
また、2017年には167館の公立図書館、独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)の47本部・支部に自身の著書「輸入ビジネス儲けの法則」、「初めてでもよくわかる輸出ビジネスの始め方・儲け方」を寄贈。さらに翌年には、556館の公立図書館に「ホントにカンタン! 誰でもできる! 個人ではじめる輸入ビジネス 改訂版」、「「これ1冊でぜんぶわかる! 輸入ビジネス【完全版】」を寄贈している。

2020年は、コロナ不況にあえぐ企業、個人事業主に対する救済のために、自身の著書「儲かる仕組み」は自由に作れる!社長のための輸入ビジネス」、「価格はアナタが決めなさい。輸入ビジネスに学ぶ儲かる仕組み」804冊を、再度全国の554ヶ所に及ぶ図書館に寄贈。
これまでに、自身の書籍累計2160冊を全国の公立図書館、 独立行政法人日本貿易振興機構等の公的機関に寄贈している。

超難関資格であるジェトロ認定貿易アドバイザーとしての知識、28年に及ぶ貿易商としての経験、16年に及ぶ貿易アドバイジング実績、現在までに50,000件以上の商談をこなしたキャリア、心理学やNLPに基づいた巧みなコミュニケーション術を駆使したコンサルティングはクライアントから圧倒的に絶大な支持をうけている。また、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書籍などの各マスコミにも頻繁に出演し、紹介され、横浜銀行総合研究所発行の機関誌に掲載された他、千葉テレビの人気番組「ナイツのHIT商品!会議室」では、その個性あふれるキャラクターがうけ、複数出演している。

現在、輸入ビジネスアドバイザーとして、クライアントとともに年間100日強を海外で過ごし、まさに全世界的に活躍中。また中小企業向けに利益倍増のための新規事業戦略としての輸入ビジネスを提唱し大人気を博している。
特に、海外の国際見本市の現場に、クライアントを個別に伴いメーカーブースに訪問し、リアルなサプライヤーとの面談交渉を実際にやって見せながら、独占販売権の獲得にあたる様は、まさに「神の所業」と称され他の追随を許さない日本唯一無二のコンサルティングになっている。現在、この個別コンサルティングは、あまりにも劇的にクライアントの現状を激変させるがゆえに申込者が後を絶たず半年待ちの状態になっている。セミナー受講者は、15,000人を超え、海外での実践講座のクライアント数は、977名を超え、今なお数多くの成功者を輩出。その圧倒的な実績によりクライアントからは「輸入の神様」と称されている。
また、輸入ビジネス界に対する多大なる貢献により、歴史と伝統ある日本最大にして最高の権威を有する界貿易の学術団体「日本貿易学会」の正会員に推挙され、貿易界の発展にも寄与している。

著書に、専門書としては異例ともいえる販売即日Amazon総合ランキング、処女作発刊以来5回連続ですべて1位になった「初めてでもよくわかる 輸入ビジネスの始め方・儲け方」 、「貿易ビジネスの基本と常識」,「輸入ビジネス儲けの法則」,「図解 これ1冊でぜんぶわかる 貿易実務」,「ホントにカンタン! 誰でもできる! 個人ではじめる輸入ビジネス」がある。